判例

S44.04.02 大法廷・判決 昭和41(あ)1129 国家公務員法違反、住居侵入(第23巻5号685頁)

判示事項:

一 国家公務員法(昭和四〇年法律第六九号による改正前のもの、以下同じ)九八条五項一一〇条一項一七号の合憲性

二 国家公務員法一一〇条一項一七号にいう同法九八条五項前段の違法な行為の遂行をあおつた罪が成立するとされた事例

三 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(昭和三五年六月二三日条約第六号、以下新安保条約という)は違憲であることが明白か

要旨:

一 国家公務員法九八条五項、一一〇条一項一七号は憲法二八条、前文、一一条、九七条、一八条に、国家公務員法一一〇条一項一七号は憲法二一条、三一条に違反しない。

二 全司法労組仙台支部が、新安保条約に反対するため、勤務時間内にくいこむ職場大会を開催するにあたり、裁判所職員でなく、かつまた裁判所職員の団体に関係もない被告人甲らと、裁判所職員であり、同支部執行委員長の職にあつた被告人乙とが共謀のうえ、同支部分会役員に対し右職場大会への参加協力を要求し、または裁判所職員に対し右職場大会への参加をしようようしたときは、甲らおよび乙は、いずれも国家公務員法一一〇条一項一七号にいう同法九八条五項前段に規定する違法な行為の遂行をあおつた者にあたる。

三 新安保条約は、憲法九条、九八条二項および前文の趣旨に反して違憲であることが明白であるとは認められない。

主    文

     本件各上告を棄却する。
         

理    由

 弁護人大川修造ほか六名の上告趣意第一点について。
 所論は、国家公務員法(昭和四〇年法律第六九号による改正前のもの。以下国公法という。)九八条五項、一一条一項一七号は、憲法二八条、一一条、九七条、一八条に違反するものであり、これを適用した原判決も違憲であるという。
 よつて案ずるに、国公法九八条五項は、「職員は、政府が代表する使用者としての公衆に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をなし、又は政府の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない。又、何人も、このような違法な行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおつてはならない。」と規定し、同法一一〇条一項一七号は、「何人たるを問わず第九十八条第五項前段に規定する違法な行為の遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおり、又はこれらの行為を企てた者」は、三年以下の懲役または一〇万円以下の罰金に処すべき旨を規定している。これらの規定が、文字どおりに、すべての国家公務員の一切の争議行為を禁止し、これらの争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、あおる等の行為(以下、あおり行為等という。)をすべて処罰する趣旨と解すべきものとすれば、公務員の労働基本権保障の趣旨に反し、必要やむをえない限度をこえて争議行為を禁止し、かつ、必要最少限度にとどめなければならないとの要請を無視して刑罰の対象としているものとして、これらの規定は、いずれも、違憲の疑いを免れない。しかし、法律の規定は、可能なかぎり、憲法の精神に即し、これと調和しうるよう合理的に解釈されるべきものであつて、この見地からすれば、これらの規定の表現にのみ拘泥して、直ちにこれを違憲と断定する見解は採ることができない。
 右のように限定的に解釈するかぎり、前示国公法九八条五項はもとより、同法一一〇条一項一七号も、憲法二八条に違反するものということができず、また、憲法の前文、一一条、九七条、一八条に違反するものともいえないことは、当裁判所大法廷の判例(とくに昭和三九年(あ)第二九六号、同四一年一〇月二六日大法廷判決、刑集二〇巻八号九〇一頁、昭和四一年(あ)第四〇一号、同四四年四月二日大法廷判決参照)の趣旨に照らし、明らかであるから、これらの規定自体を違憲とする所論は、その理由がなく、したがつて、原判決が右国公法一一〇条一項一七号を適用したことを非難する論旨も、採用することができない。
 同第二点について。
 所論は、明白かつ現実の危険がないのに、あおり行為等を処罰することとしている国公法一一〇条一項一七号の規定は憲法二一条に違反するという。
 しかし、右罰則が憲法二一条に違反するものでないことは、当裁判所の判例(昭和二六年(あ)第三八七五号、同三〇年一一月三〇日大法廷判決、刑集九巻一二号二五四五頁)とするところであるのみならず、前に説示したとおり、右罰則はこれを限定的に解釈して適用するかぎりにおいて、右規定が憲法二一条に違反するものでないことは、さらに明らかである。所論は、独自の見解のもとに違憲を主張するものであつて、採用しがたい。
 同第三点について。
 国公法一一〇条一項一七号は、公務員の争議行為そのものを処罰の対象としているものでないのみならず、右規定にいうあおり行為等を後に説示するような意味に解するかぎり、右規定が憲法一八条に違反するものといえないことは、所論第一点について説示したとおりであつて、所論は採用のかぎりでない。
 同第四点について。
 所論は、国公法一一〇条一項一七号は、その規定する構成要件の内容が漠然としており、かつ、労働運動の実体を無視し、争議行為の前段階的行為であるあおり行為等のみを処罰の対象としたことは極度に不合理であるから、憲法三一条に違反し、これを適用した原判決も違憲であるという。
 しかし、国公法一一〇条一項一七号にいう「共謀」とは、二人以上の者が、同法九八条五項に定める違法行為を行なうため、共同意思のもとに、一体となつて互いに他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をすること(昭和二九年(あ)第一〇五六号、同三三年五月二八日大法廷判決、刑集一二巻八号一七一八頁参照)、「そそのかし」とは、同法九八条五項に定める違法行為を実行させる目的をもつて、他人に対し、その行為を実行する決意を新たに生じさせるに足りる慫慂行為をすること(昭和二七年(あ)第五七七九号、同二九年四月二七日第三小法廷判決、刑集八巻四号五五五頁参照)、「あおり」とは、右の目的をもつて、他人に対し、その行為を実行する決意を生じさせるような、またはすでに生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与えること(昭和三三年(あ)第一四一三号、同三七年二月二一日大法廷判決、刑集一六巻二号一〇七頁参照)を、それぞれ、指すものと解するのが相当である。してみれば、国公法一一〇条一項一七号に規定する犯罪構成要件が、所論のように、内容が漠然としているものとはいいがたく、所論違憲の主張は、理由がない。
 また、違法な争議行為につき、その前段階的行為であるあおり行為等のみを独立犯として処罰することは、政策的に妥当といえるかどうかは別論として、必ずしも不合理とはいいがたく、この点に関する非難も、採用することができない。
 同第五点について。所論は、原判決の国公法一一〇条一項一七号の「あおり」の解釈適用の誤りをいう。
 よつて案ずるに、原判決が国公法一一条一項一七号につき原判示のとおりの限定的解釈をしたうえ、本件事案にこれを適用していることは所論のとおりであるが、当裁判所は、次のような理由により、右規定を本件事案に適用した原判決の結論は、これを支持すべきものと考える。
 すなわち、あおり行為等を処罰するには、争議行為そのものが、職員団体の本来の目的を逸脱してなされるとか、暴力その他これに類する不当な圧力を伴うとか、社会通念に反して不当に長期に及ぶなど国民生活に重大な支障を及ぼすとか等違法性の強いものであることのほか、あおり行為等が争議行為に通常随伴するものと認められるものでないことを要するものと解すべきである。というのは、職員の行なう争議行為そのものが処罰の対象とされていないのに、あおり行為等が安易に処罰の対象とされるときは、結局、争議行為参加者の多くが処罰の対象とされることになつて、国公法の建前とする争議行為者不処罰の原則と矛盾することになるからである。
 そこで、まず、原判決の認定した本件事実関係をみるに、被告人ら(Aを除く。)は、仙台高等裁判所、同地方裁判所、同簡易裁判所の職員に対し、仙台高等裁判所玄関前において、昭和三五年六月四日午前八時三〇分から九時三〇分まで一時間、勤務時間内に喰い込んで開催される、新安保条約に反対するための職場大会に参加するよう、第一審判決の判示第一(後段のいわゆる間接あおりの部分を除く。)または第二に掲げる行為をしたというのである。右の認定によれば、本件職場大会が前示裁判所職員の団体であるB労組仙台支部の職場大会の実体をもつものであつて、裁判所職員による右職場離脱は、短時間とはいえ、裁判所職員による争議行為に当たるというのである。
 ところで、裁判所職員の争議行為の制限について考えてみるに、すべて司法権は裁判所に属するものとされ、裁判所は、この国家に固有の権能に基づき、国民の権利と自由を擁護するとともに、国家社会の秩序を維持することをその使命とするものであることにかんがみると、このような裁判所の行なう裁判事務に従事する職員の職務は、一般的に、公共性の強いものであり、その職務の停廃は、その使命の達成を妨げ、ひいては、国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあるものといわなければならない。
 そこで、本件職場大会についてみるに、当時、新安保条約に対する反対運動が憲法擁護のための国民運動として広く行なわれ、労働組合その他諸種の団体によつてもその運動が活溌に行なわれており、本件職場大会も右運動の一環として行なわれたものであること所論のとおりであるとしても、裁判所の職員団体の本来の目的にかんがみれば、使用者たる国に対する経済的地位の維持・改善に直接関係があるとはいえない、このような政治的目的のために争議を行なうがごときは、争議行為の正当な範囲を逸脱するものとして許されるべきではなく、かつ、それが短時間のものであり、また、かりに暴力等を伴わないものとしても、裁判事務に従事する裁判所職員の職務の停廃をきたし、国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるものであつて、かような争議行為は、違法性の強いものといわなければならない。
 そして、原判決の確定するところによれば、本件当時、(イ)被告人Cは、D労働組合中央執行委員の職にあつて、国公共闘会議からオルグとして仙台市に派遣されていたもの、被告人Eは、農林省宮城作物報告事務所石巻出張所に勤務し、F労働組合宮城県本部副執行委員長の職にあつたもの、被告人Gは、仙台北税務署に勤務し、D労働緯合東北地方連合会執行委員、H副議長の職にあつたもの、被告人Iは、仙台地方裁判所に裁判所書記官補として勤務し、B労組仙台支部執行委員長の職にあつたものであり、(ロ)第一審判決の判示第一に掲げる行為(後段のいわゆる間接あおりの部分を除く。)は、被告人I、Cその他の者が共謀して行なつたもの、判示第二に掲ける行為は、被告人C、I、E、Gその他の者が共謀して行なつたものであるというのである。
 そこで、被告人らの右行為が、裁判所職員の行なう争議行為に通常随伴するものと認められるかどうかについて考えてみるに、被告人らのうち、裁判所職員でなく、かつまた、裁判所職員の団体に関係もない第三者である被告人C、E、Gの行なつた行為は、裁判所職員の行なう争議行為に通常随伴するものと認めることができないことは明らかである。また、被告人Iは裁判所職員であり、その団体であるB労組仙台支部執行委員長の職にあつたものであるから、そのあおり行為等がその態様において異常なものでないかぎり、争議行為に通常随伴するものと認めることができるが、本件の場合、被告人Iは、第三者である前示被告人らと共謀して前示ロの行為を行なつたものであるというのであるから、右事実関係のもとにおいては、被告人Iの行為も争議行為に通常随伴する行為と認めることはできないものといわなければならない。
 してみれば、原審が被告人らの前示行為につき国公法一一〇条一項一七号を適用したことは、その理由において当裁判所の見解と異なるところがあるが、結局、正当であるに帰し、以上と異なる見解のもとに原判決に法令違反の違法があるとする所論は、採用することができない。
 同第六点について。
 所論は、原判決は、国公法一一条一項一七号にいう「あおり」の解釈につき、所論引用の当裁判所の判例(昭和三九年(あ)第二九六号、同四一年一〇月二六日大法廷判決、刑集二〇巻八号九〇一頁)と相反する判断をしているという。
 しかし、右判例は、原判決の宣告後になされたものであるから、これをもつて刑訴法四〇五条二号の判例と解することはできず、所論は、適法な上告理由に当たらない。
 同第七点について。
 所論は、違憲 (三一条) をいうが、国公法一一〇条一項一七号は、同号の規定する「あおり」等の行為を独立の可罰的行為(犯罪類型)として処罰の対象としているのであるから、いわゆる共謀共同正犯の理論の適用については、他の独立犯罪の場合と異なるところはないと解すべきであり、このように解しても憲法三一条に違反するものではなく、したがつて、これと同趣旨に出た原判断は正当であり、所論違憲の主張は理由がない。
 同第八点について。
 所論は、原判決は、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(昭和三五年六月二三日条約第六号、以下新安保条約という。)の解釈および憲法九条、九八条一項、八一条の解釈を誤つた違法があるという。
 しかし、新安保条約のごとき、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係をもつ高度の政治性を有するものが違憲であるか否かの法的判断をするについては、司法裁判所は慎重であることを要し、それが憲法の規定に違反することが明らかであると認められないかぎりは、みだりにこれを違憲無効のものと断定すべへきではないこと、ならびに新安保条約は、憲法九条、九八条二項および前文の趣旨に反して違憲であることが明白であるとは認められないことは、当裁判所大法廷の判例(昭和三四年(あ)第七一〇号、同年一二月一六日大法廷判決、刑集一三巻一三号三二二五頁)の趣旨に照らし、明らかであるから、これと同趣旨に出た原判断は正当であつて、所論違憲の主張は理由なきに帰する。
 同第九点について。
 所論は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由に当たらない。
 同第一〇点について。
 所論は、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由に当たらない。
 同第一一点について。
 所論は、仙台高等裁判所構内が刑法一三〇条にいう建造物の囲繞地に当たるとした原判断が所論引用の判例(昭和二四年(れ)三四〇号、同二五年九月二七日大法廷判決、刑集四巻九号一七八三頁)に違反するという。
 しかし、右引用の判例は、守衛、警備員等を置いていることを、外来者がみだりに出入することを禁止している態様の例示として掲げたにとどまり、これをもつて同条にいう建造物の囲縫地であるための要件としたものでないことは明らかであるから、所論判例違反の主張は、その前提を欠き、適法な上告理由に当たらない。
 同第一二点および同第一三点について。
 所論のうち、違憲(三一条、三二条、三七条二項、七六条一項、三項、八一条、一四条)をいう点は、第一審で無罪を言い渡された被告人に対し、原審が事実の取調をした結果、第一審の無罪判決を破棄し自判しても違憲でないこと、ならびに事実審理を第二審かぎりとし、上告理由が刑訴法四〇五条により制限されている関係上、第一審の無罪判決を破棄自判により有罪とした第二審判決に対し、上訴によつて事実誤認等を争う途が閉ざされているとしても違憲でないことは、当裁判所大法廷の判例(昭和二六年(あ)第二四三六号、同三一年七月一八日判決、刑集一〇巻七号一一四七頁、昭和二七年(あ)第五八七七号、同三一年九月二六日判決、刑集一〇巻九号一三九一頁、昭和二二年(れ)第四三号、同二三年三月一〇日判決、刑集二巻三号一七五頁)の趣旨とするところであるから、所論違憲の主張はいずれも理由がなく、その余は、単なる訴訟法違反の主張であつて、適法な上告理由に当たらない。
 同第一四点について。
 所論は、単なる訴訟法違反、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由に当たらない。被告人Cおよび同Iの各上告趣意について。
 所論のうち、新安保条約の違憲(前文、九条)をいう点は、弁護人大川修造ほか六名の上告趣意第八点について、国公法九八条五項、一一〇条」項一七号の違憲(二八条)をいう点は、右上告趣意第一点について、それぞれ説示したとおりであつて、右主張はいずれも理由がなく、その余は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由に当たらない。
 被告人E、同Gの上告趣意について。
 所論のうち、新安保条約の違憲(九条)をいう点は、弁護人大川修造ほか六名の上告趣意第八点について説示したとおりであつて、右主張は理由がなく、その余は、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由に当らない。
 検察官の上告趣意について。
 所論は、国公法一一〇条一項一七号の解釈に関する原判決の判断は、所論昭和四〇年一一月一六日東京高等裁判所判決(下級裁判所刑事裁判例集七巻一一号一九五五頁)と相反するという。
 原判決は、同号は、同号に掲げる行為をすべて可罰性のあるものと評価しているのではなく、その行為の性質、手段、態様等からして争議行為の実行に影響を及ぼすべき高度の蓋然性をもつ程度に強度の違法性を帯びるもので、これらに刑罰を科することが公益上当然であるとされるものにかぎつて、処罰の対象としていると解すべきである旨判示しているところ、右東京高等裁判所の判決は、同号は、行為者ないし行為の態様等により強度の違法性を帯びた「あおり」行為等のみを処罰する趣旨のものと解すべきではないとの見解をとつており、原判決に先だつて言い渡されたものであるから、原判決は、右高等裁判所の判例と相反する判断をしたこととなり、刑訴法四〇五条三号後段に規定すろ最高裁判所の判例がない場合に、控訴裁判所たる高等裁判所の判例と相反する判断をしたことになるものといわなければならない。
 そして、国公法一一〇条一項一七号の解釈に関する当裁判所の見解は、前示のとおりであつて、右高等裁判所の判例および原判決のこの点に関する見解は、そのいずれをも維持することはできないけれども、前示のとおり、原判決が被告人らの第一審判決の判示第一の行為(後段のいわゆる間接あおりの部分を除く。)および第二の行為につき同号を適用処断したことは、結局、正当であるのみならず、被告人らの第一審判決判示第一後段の行為(いわゆる間接あおり)は、原審の確定した事実関係のもとにおいては、いまだその対象たる裁判所職員に対し、本件争議行為の実行を決意させ、またはすでに生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与える程度のものとは認めがたく、同号のあおり行為には該当しないものと認めるのが相当であり、したがつて、右事実は犯罪の証明がなく無罪とすべきものであるとした原判決は、その結論において正当であるから、原判決には判例違反があるが、この判例違反の事由は、刑訴法四一〇条一項但書にいう判決に影響を及ぼさないことが明らかな場合に当たり、原判決を破棄する事由とはならない。
 よつて、刑訴法四一四条、三九六条に則り、本件各上告を棄却することとし、主文のとおり判決する。
 この判決は、裁判官入江俊郎、同岩田誠の各意見、裁判官奥野健一、同草鹿浅之介、同石田和外、同下村三郎、岡松本正雄の意見、裁判官色川幸太郎の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。
 裁判官入江俊郎の意見は、次のとおりである。
一、私は、多数意見と結論を同じくし、また、その理由の大部分についてはこれに同調するが、ただ一点だけ多数意見と根本的に考え方を異にする。そしてこの点は、本件においては、判決の結果に影響のない論点のごとくではあるが、他日、他の類似の事案が問題となつた場合には判決の結果を左右することのありうべき問題であるから、この際右の点につきまず私の意見を表示する。
 (一) 憲法二八条の労働基本権といえども絶対無制限なものではなく、公共の福祉の要請に応じ、これに合理的制限を加えることは違憲ではないが、労働基本権に対するそのような制限は、憲法二八条の法意に照らし、労働基本権を尊重確保する必要と、国民生活全体の利益を維持増進する必要とを比較考量して、両者の間に適正な均衡を保つことを目途として決定すべきであることは、既に当裁判所の判例(昭和三九年(あ)第二九五号、同四一年一〇月二六日大法廷判決、刑集二〇巻八号九〇一頁、いわゆる中郵判決)の判示するとおりである。そして、国家公務員や地方公務員も憲法二八条にいう勤労者にほかならず、これらの公務員も原則として同条の保障を受くべきものであつて、公務員は全体の奉仕者で、一部の奉仕者ではない(憲法一五条)からといつて、その一事をもつて、公務員に対して右労働基本権をすべて否定することは許されないというべきであるが、ただ公務員については、その担当する職務の内容は私企業におけるそれと異なり、一般に公共性が顕著であるから、その職務の具体的な内容に応じて、私企業における労働者の場合と異なる制約を受けることがあつてもやむを得ないといわなければならない。かように考えて来ると、本件で問題となつている国家公務員法(昭和四〇年法律第六九号による改正前のもの。以下国公法と略称する。)九八条五項が公務員の争議行為を禁止しているからといつて、いやしくも争議行為と認められる以上、すべての国家公務員につき一律に一切の争議行為を違法として禁止しているものではなく、具体的事案に即して公共の福祉の要請を充分勘案した上、同法条によつて禁止されている争議行為に該当するか否かを判断すべきであり、もしかような考慮を何ら払うことなく、国家公務員の一切の争議行為を違法として禁止するならば、それは憲法二八条違反というほかないことも、前記当裁判所の判例の趣旨とするところである。国公法の前記法条は単に「争議行為」というに止まり、同法八二条は懲戒に関する規定が置かれているから、単に法文を文字どおりに解すれば、国家公務員の一切の争議行為は禁止され、この法条に違反して争議行為を行つた場合にはすべて懲戒処分を受けることとなるがごとくであるが、これらの法条については当然憲法二八条の法意に即した適切な解釈が加えらるべく、その限度において争議行為が禁止され、かくして禁止された争議行為であつてはじめてこれに懲戒を加えることができるものといわなければならない。ここまでは多数意見と私は意見を異にするわけではない。
 (二) しかし、本件は国家公務員の争議行為自体に刑罰を科するか否かではなく、その争議行為に対するあおり行為等に刑罰を科するか否かが問題となつているものであり、国公法一一〇条一項一七号は、同号の規定するあおり行為等を独立の犯罪行為として、これに刑罰を科することを定めた規定である。ところで、憲法二八条の法意に鑑み、国公法上禁止されているとは認められず、従つてまた国公法上懲戒処分の対象ともならないような争議行為であれば、それは憲法上適法な争議行為であり、憲法上の保障を与えられているのであるから、これを対象としてあおり行為等が行なわれたからといつて、前記国公法の刑罰法条の適用の余地のないことは明らかであるが、いやしくも国公法上違法と認められる争議行為を対象としてあおり行為等が行なわれた以上、これに対し前記刑罰法規の適用のあることは当然といわなければならない。しかるに、多数意見は、あおり行為等の対象とせられる国公法上違法な争議行為の中で、さらに争議行為の違法の程度、反社会性の程度に強弱の区別をたてて、多数意見が例示するような、その程度の強いものに対するあおり行為等がはじめて国公法の前記刑罰法条の適用を受けうるものであり、程度の弱いものに対するあおり行為等はその適用外であるとしているが、このような解釈は、憲法二八条、三一条の法意こ照らしても、また国公法の解釈の上からも、これを是認すべき根拠を欠き、私は到底これに賛同することはできないのである。もちろん、理論的には、国公法上違法と解されるような争議行為の中、その違法性ないし反社会性の程度の軽いものに対するあおり行為等に対して、不当に重い刑罰を科し、これがため公務員の争議行為自体が結局において不当に制約されるようなことになるとするならば、それは憲法二八条、三一条の法意に照らし、違憲の問題を生ずることがないとはいえないけれども、本件に関する限り、国公法の前記罰条はそのような場合に当たるとは考えられない。右罰条には、長期三年の懲役刑のほか罰金刑の定めもあるから、右刑罰法規の適用に当たつては、情状等を考慮することにより量刑の面で適切な斟酌をすることが可能であり、違憲の問題は生じないと考える。また、これを立法政策の面から考察しても、右罰条は立法府の有する立法に対する裁量権の範囲を逸脱しているものとは認められない。
 (三) 原審の確定した事実関係の下においては、本件あおり行為等の対象となつた争議行為は、昭和三五年六月四日仙台高等裁判所前で、午前八時三〇分から同九時三〇分までの勤務時間内に、仙台高等裁判所、同地方裁判所および同簡易裁判所の職員の職場大会を実施しようとするものであつて、そのようにまさに勤務時間にくいこんでこの種争議行為を行なうことは裁判所事務の明らかな停廃にほかならず、裁判所事務は、正義の実現と人権の保障とを目途とする司法権の行使につき不可缺のものであつて、裁判所職員の職務は極めて公共性の強いものというべく、またたとえ短時間であるとしても、本件におけるように勤務時間内にくいこんで裁判所の事務の運営を停廃するがごときは、まさに国公法九八条五項前段により違法として禁止される争議行為であることは多言を要せず、そして、その違法性は勿論極めて程度の強いものというべきであるが、これに国公法一一〇条一項一七号を適用するに当たつては、その程度の強弱を問題とすることは全く不必要であり、かく解することは何ら憲法二八条、三一条に違反するものではないと考えるのである。
 (四) なお、当裁判所は、前記いわゆる中郵判決において、公共企業体等労働関係法(以下公労法と略称する。)一七条の解釈ならびに郵便法七九条一項の解釈につき、郵便法により郵政職員の争議行為に刑罰を科する場合の判断を示している。それによれば、右郵便法の法条はもつぱら争議行為を対象としたものでないことは明白であるが、反面、郵政職員が争議行為として同条所定の行為をした場合にその適用を排除すべき理由はなく、争議行為をした場合にも適用あるものと解するほかはないが、公労法は、同法一七条一項に違反してなされた違法な争議行為に対しては同法一八条により懲戒処分をする途を認めているに止まり、刑罰を科する規定は全く置いていないのに、前記郵便法の法条により例外として郵政職員の違法な争議行為に刑罰を科することとなる点を考えると、公労法の職員の争議行為自体の中に刑罰を科せられない場合と科せられる場合とがあることになる点に鑑み、刑事制裁を科せられる郵政職員の右争議行為は前記中郵判決判示のような特に違法性、反社会性の強度のものに限ると解するを相当とするとし、かく解することが、憲法二八条、公労法一七条一項の合理的解釈に沿う所以であるとしたのである。しかるに本件は、争議行為自体に刑罰を科する問題ではなく、違法とされる争議行為を対象としてなされたあおり行為等に刑罰を科することが問題となつているのであつて、前記中郵判決は、この点に関する限り、本件とは事案を異にし本件に適切でなく、あおり行為等の刑罰規定に関する多数意見の中、私の反対する前記の部分に関しては、中郵判決は何らの判示をも包含しているものではないと私は解する旨を附言したい。二、次に、多数意見があおり行為等を処罰しうるためには、あおり行為等がその対象とされた争議行為に通常随伴するものと認められるものでないことを要件としている点は、私もこれに賛同するが、この点につき若干補足意見を表示する。
 私見によれば、多数意見の右のごとき解釈のよつて来たる所以は、そもそもあおり行為等は争議行為の発案、計画、遂行の過程として、他人に対し、争議行為を実行する決意を生じさせるような、またはすでに生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与えることであつて、通常は対象とされる争議行為に従属的ないし附随的な性質のものであるから、動労者自らが争議行為をした場合は刑罰を科せられないとされているのに、そのような従属的ないし附随的行為につき刑責を認めるとすれば、それはその動労者が自ら行なう争議行為に実質的に包含されていると解される行為の一部を取り上げて処罰すると同様な結果となり極めて不合理であり、争議行為自体に刑責を負わせない立前と矛盾し、かくては労働基本権を認めた憲法二八条の法意にも反することとなるという配慮に出たものに外ならないと考える。それ故、ここに通常随伴するものと認められるものでないというのは、あおり行為等が例えば、組合における争議行為の共同意思に基づかないで争議行為の遂行を煽動するとか、争議行為の際に通常行なわれるような手段、方法、程度をこえた激越なものであるとか、故意に誤つた情報を提供し、欺岡、威力、暴力等の手段、方法を用いるとか等、社会通念上争議行為に伴つて行なわれるものとしては著しく不当と認められるような行為による場合をいうものと解するのが相当である。従つて、このような制限は、あおり行為等の行為者が、その者の行なう争議行為自体につき刑事罰を科せられないとされる動労者ないしそれと同等の立場にある者であつて、本来憲法二八条の保障の下に在るものにつき問題とされるのであり、しからざる純然たる第三者のように、全く憲法二八条の保障の下にない者については、このような制限は問題とならない。すなわち純然たる第三者のしたあおり行為等については、通常随伴するものか否かを考える余地も必要もなく、憲法二八条の要請とも無関係であつて、そのような第三者のあおり行為等がすべて国公法の前記罰条の適用を受けることは、法律の規定によりもとよりも当然というべきである。また、そのような第三者と共謀した者がたとえ動労者であつても、独立の犯罪者たる第三者の共犯者である以上、そのあおり行為等の行為は、争議行為て通常随伴すると解する余地も必要もなく、憲法二八条の要請とも無関係の事柄であつて、これまた国公法の前記罰条の適用を受けることは、法律の規定により当然というべきものと私は考える。その意味において、本件被告人らに刑責を負わせた原判決の結論は正当である。(なお、あおり行為等の対象とされた争議行為が、公務員の勤務条件の維持改善、経済的立場の向上等労働争議本来の目的達成に関係はあるが、その手段、方法、態様等からみて、公共の福祉の要請上許容し得ず違法とされるようなものであれば格別、労働争議本来の目的と全く無関係に、例えば専ら政治的目的達成のための政治運動が、争議行為の形態を採つてなされたような場合には、そのような争議行為は、憲法二八条の保障とは無関係なものというべきであろう。しかし、私はそのような争議行為も実定法たる国公法上の争議行為という中には包含されていると思う。そしてたとえそのような場合であつても、そのあおり行為等をした者が動労者自身であれば、現行国公法が、その者のする右のような争議行為自体に刑罰を科さない立前であるとすれば、それとの均衡上、右あおり行為等のみに刑罰をもつて臨むことは、それが右争議行為に通常随伴するものと認められるものである限り、憲法三一条の要請から、または現行国公法の妥当な解釈の上から、許されないと解するのが相当ではないかと考える。そして本件は、原審の確定したところによれば、新安保条約に反対するための労働争議に対するあおり行為等に関する事案であるが、本件は、被告人らが本件あおり行為等を第三者と共謀して行なつたというのであるから、右の点は、判決の結果には影響のないことに帰するので、ここではただ問題の所在を指摘するに止め、これ以上の詳述は省略する。)
 裁判官岩田誠の意見は、次のとおりである。
 一、法律の規定をその文字どおりに解釈すると違憲の疑のある場合には、これに可能なかぎり合理的限定解釈を加え憲法の趣旨に調和するよう解釈すべきものであり、国家公務員法(昭和四〇年法律第六九号による改正前のもの。以下国公法という。)一一〇条一項一七号の規定を解釈するに当つても右のような限定解釈を加うべきものであることは多数意見の判示するとおりである。
 二、よつて按ずるに、国公法一一〇条一項一七号は、争議行為自体を行なつた者は処罰しないけれども、争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、あおり、またはこれらの行為を企てた者を処罰する旨定めている。しかし、職員組合の行なう争議行為は、通常組合の役員または組合員から発案され、所定の議決機関の決議を経、これに従つて実行されるものと解されるので、右争議行為の「遂行を共謀し、そそのかし、あおり、企てる」行為(以下「あおり行為等」という。)のような行為が、その組合において、本来の目的たる勤務条件の維持改善、経済的地位の向上およびこれと関連する事項を目的とし、自主的に行なう争議行為の発案、計画、遂行の過程として行なわれる場合にこれを刑罰をもつて処罰することは、結局刑罰をもつて、すべての公務員に対し、一切の争議行為を禁止することになり、憲法二八条に違反する疑が生ずる。したがつて、国公法によつて認められた国家公務員の職員組合がその本来の目的達成のため自主的に行なう争議行為の発案、計画、遂行の過程として行なわれる「あおり行為等」は(組合の役員または組合員は勿論、それ以外の者であつても、その組合の上部組織若しくは連合体の役員のような者によつて行なわれても)、暴力等を伴わないかぎり、国公法一一〇条一項一七号にいう「第九十八条第五項前段に規定する違法な行為の遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおり、又はこれらの行為を企てた」場合に当らないものとして処罰の対象にならないと解すべきである。
 これを要するに、組合本来の目的を超えて行なわれたと認められる国家公務員の争議行為に対する「あおり行為等」、および組合が自主的に行なう争議行為の発案、計画、遂行の過程として行なわれるものでない一切の「あおり行為等」は、本条項に該当し、処罰の対象となるものと解する。何となれば右各行為はいずれも憲法二八条が勤労者に保障する労働基本権の行使とはいえないからである。
 三、多数意見は、「あおり行為等」を処罰するには、争議行為そのものが、職員団体の本来の目的を逸脱してなされるとか、暴力その他これに類する不当な圧力を伴うとか、社会通念に反して不当に長期に及ぶなど国民生活に重大な支障を及ぼすとか等違法性の強いものであることのほか、「あおり行為等」が争議行為に通常随伴するものと認められるものでないことを要するものと解すべきであるとする。
 右多数意見の趣旨とするところが、国公法一一〇条一項一七号を憲法に合致するように限定的に解釈するための基準を、「あおり行為等」の対象となる国家公務員の行なう争議行為の違法性の強弱にも求め、違法性の強い争議行為の「あおり行為等」にかぎり、国公法一一〇条一項一七号により処罰できるとするにあるならば、にわかに賛同できない。私は、「あおり行為等」の対象となる争議行為(国公法九八条五項は、国家公務員の争議行為を禁止しているから、国家公務員の争議行為は、国公法上は原則として違法である。〔刑事罰をもつてのぞむべき違法の意ではない。〕)について、その違法性の強弱により国公法一一〇条一項一七号の適用の有無を決すべきではないと思う。「あおり行為等」の対象となつた争議行為が、国家公務員の勤務条件の維持改善、経済的地位の向上およびこれと関連する事項を目的とするものではなく、例えば政治的意図の達成を目的とするものであるときは、かかる争議行為は憲法二八条の保障するところではないから、かかる争議行為を対象とする「あおり行為等」は、それが争議行為に通常随伴するものであると否とを問わず、憲法二八条の保障する労働基本権の行使とはいえない。また「あおり行為等」についても争議行為に通常随伴する行為は、違法性が弱いから処罰されないというのは賛同できない。むしろかゝる行為は、対象たる争議行為が組合の本来の目的達成のための争議行為である限り、憲法二八条の保障する動労者の労働基本権なかんづく団体行動権の行使と認められるから、かゝる行為は、国公法一一〇条一項一七号のいう「あおり行為等」にあたらないので処罰できないというべきものと思料する。
 四、これを本件について見るに、第一審判決が確定し、原判決が是認支持した限度の事実関係によれば、当時新安保条約は、憲法に違反し、日米両国間の軍事同盟的性格を有し、却つて日本の平和と安全を脅かすものとして、新安保条約改訂反対運動が、J党をはじめ一部政党、労働組合その他諸種の団体によつて広く行なわれていたのであるが、被告人ら(同Aを除く。以下同じ。)は、右反対運動の一環として、仙台高等裁判所、同地方裁判所、同簡易裁判所の職員に対し、昭和三五年六月四日午前八時三〇分から九時三〇分までの一時間勤務時間内に食い込み同高等裁判所前で新安保条約反対のため行なわれる職場大会に参加するよう第一審判決の判示第一(後段のいわゆる間接あおりの部分を除く。)または第二に掲げる行為をしたというのであり、かつ、右職場大会は、前示各裁判所職員の団体であるB労働組合仙台支部の職場大会であるというのである。してみれば、右職場大会は裁判所の職員団体による争議行為であること明らかであり、その目的とするところは、新安保条約改訂に反対しようとする政治目的のためのもので、職員団体の目的である裁判所職員の勤務条件の維持改善、経済的地位の向上およびこれと関連する事項を目的とするものとは到底いえないものであり、かゝる争議行為は憲法二八条の保障するところではない。したがつて、かゝる争議行為たる右職場大会への参加を慫慂する行為は、国公法一一〇条一項一七号にいわゆるあおり行為にあたること明らかであつて、被告人らの右所為が争議行為に通常随伴するものであるか否かを問うまでもなく、被告人らに罪責のあること論をまたない。
 右に記した以外の点については、いずれも多数意見に同調する。
 裁判官奥野健一、同草鹿浅之介、同石田和外、同下村三郎、同松本正雄の意見は、次のとおりである。
 一、国家公務員は、国民の信託により、全体の奉仕者として国政に干与するものであつて、その使用者である国民大衆に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をなすことは、国民の信託に叛き、国政の活動を停廃せしめ、国民生活に重大な障害をもたらし、公共の福祉に反するものであるから、国家公務員法(昭和四〇年法律第六九号による改正前のもの、以下同じ)九八条五項は、違法な行為として、これを禁止しているのである。また、地方公務員法三七条一項は、同様の趣旨において地方公務員の争議行為を違法な行為として禁止しているのである。これら公務員の争議行為の禁止は、公共の福祉の要請に基づくものであつて、憲法二八条に違反するものということはできない。
 法は、右の如く公務員の争議行為を違法な行為として禁止しながらも、それに違反して争議行為自体に参加した個々の公務員に対しては、刑罰を科することなく、公務員として保有する任命上文は雇用上の権利を奪う制裁を科し得るに止めている。しかし、法は、公務員の争議行為は国民又は地方住民に対し、重大な損害を与えるものであることに鑑み、かかる違法な争議行為の原動力となり、これを誘発、指導、助成する、いわゆる煽動者等に対しては刑事制裁を科し、もつて違法な争議行為の禁遏の実を挙げようとしているのである。すなわち、違法な争議行為に原動力を与える者は、単なる争議に参加した者に比して、反社会性の強いものとして、特別の可罰性を認めるべきであるとの観点から、争議に対し指導的役割をなす煽動者等のみを処罰することにより、違法な争議行為の防止と刑政の目的を達し得るものと考えたのである。かくの如く、集団行動による違法行為について、その原動力となつた煽動行為等の違法性を特に重視することは十分合理性のあることであり、内乱罪、騒擾罪などの処罰方式の例にも見られるところであり、決して不合理な立法ではなく、固より、立法政策の範囲内に属するものであつて、違憲とはいい難い。
 そして、法が違法な争議行為に対する誘発、指導、助成の原動力となるものとして処罰せんとする「あおり」についていえば、「あおり」の概念は、「違法行為を実行させる目的をもつて、他人に対し、その行為を実行する決意を生ぜしめるような、またはすでに生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与えること(昭和三三年(あ)第一四一三号同三七年二月二一日大法廷判決、刑集一六巻二号一〇七頁参照)」をいうものと解するのが相当であり、その構成要件の内容が漠然としているものではない。そして法は、「あおり」行為について何らの限定を設けていないのであるから、いやしくも前記「あおり」の行為に該当するものである限り、これを可罰性のある違法な行為とする趣旨であつて、これらの行為をその違法性の強弱によつて区別し、特に違法性の強いものに対してのみ刑事制裁を科するものであると解する余地は、法文上考えられないところである。
 「あおり」の対象となつた争議行為自体の態様により、その違法性の強いもの、ないし刑事罰をもつてのぞむべき違法性のあるものである場合に限つて、「あおり」を処罰する趣旨であると解することも到底是認できない。けだし、法は、争議行為自体を処罰しないとしながら、敢てこれをあおつた者を処罰すると規定しているのであるから、違法性の強いもの、ないし刑事罰をもつてのぞむべき違法性のある争議行為をあおつた場合に限り、あおり行為を処罰する趣旨と解することは、ことさらに明文に反する解釈であるからである。
 それ故、「あおり」の罪が成立するためには、その「あおり」の対象となつた争議行為自体の正当性の有無を論ずる余地はなく、したがつて、その争議行為が例えば政治的目的のために行なわれたものであるか否かという如きことは、同罪の成否になんら影響を及ぼすものではないというべきである。しかも、もともと法律上争議権を否定された公務員が、「正当な争議行為」をすることができないのは当然であるから、国家公務員法附則一六条、地方公務員法五八条の規定をまつまでもなく、争議行為として「正当なもの」について、刑事免責を規定した労働組合法一条二項の規定が公務員の争議行為に適用の余地のないことは明白であつて、この点からいつても、「あおり」の対象となつた争議行為自体の正当性ないし刑事罰をもつてのぞむべき違法性の有無を論ずることは理由がないといわなければならない。
 また、争議には、企画、共謀、指令、伝達等は、通常、一般的に随伴し、争議と不可分の関係にあるものであつて、組合構成員は当然これに干与するのであるから、これを処罰することは、争議行為を処罰することになるから、組合構成員の「あおり」行為は除外すべきであるとの解釈論も是認することはできない。けだし、国家公務員法九八条五項後段、一一〇条一項一七号、、地方公務員法三七条一項後段、六一条四号は、「何人も」および「何人たるを問わず」あおり行為をした者を処罰する旨を明定しており、あおつた者が組合構成員であると、組合構成員以外の第三者であると、また組合構成員がそれ以外の第三者と共謀した場合であるとを問わず、また争議に当然随伴し、これと不可分の関係において為した者であると否とを問わず、等しく処罰する趣旨であることが明白であるからである。
 これを要するに、「あおり」の概念を、強度の違法性を帯びるものに限定したり、「あおり」行為者のうち、組合構成員と組合外部の者とを区別し、外部の者の行為若しくはこれと共謀した者の行為のみが処罰の対象となると解したり、または「あおり」の対象となつた争議行為が違法性の強いもの、ないし刑事罰をもつてのぞむべき違法性のあるものである場合に限り、その「あおり」行為が可罰性を帯びるのであるというが如き限定解釈は、法の明文に反する一種の立法であり、法解釈の域を逸脱したものといわざるを得ない。
 二、以上の見解に立つて本件を見るに、被告人ら(Aを除く。)の本件行為(第一審判決判示第一後段のいわゆる「間接あおり」の部分を除く。)が国公法一一〇条一項一七号の「あおり」行為に当たることは明らかであつて、被告人らの右行為につき同号を適用処断した原判決は、結論において正当である。
 裁判官色川幸太郎の反対意見は、次のとおりである。
 一、本件においては、「争議行為」の遂行をあおつたことが問題とされているのであるが、原審判決は、「争議行為」とは、「公務員の団体行動として、当局側の管理意思に反し、国の業務の正常な運営を阻害するが如き行為」であるとなし、本件職場大会を以て、安保改定阻止運動の一還たる抗議集会であると認定しながら、「いわゆる政治ストと呼ばれる争議」もまた国家公務員法(昭和四〇年法律第六九号による改正前のもの。以下国公法という。)九八条五項の禁止の対象になると断定した。その理由として述べるところは、同項は「国民全体の奉仕者である国家公務員が責務を懈怠し、国民との間の信託関係に背くような危険を防止するにある」からというのである。そうだとすれば、何故に団体行動でなければ禁止の対象にならないのかが理解しにくいのであるが、それはとにかく、業務の放棄それ自体が目的といえば目的で、何らか別段の要求貫徹の手段としてなされるものでない、享楽等のための集団職場離脱(これこそ国民の信託に背く職務懈怠の最たるものであろう。)の如きも、原判決の定義によれば「争議行為」に含まれることにならざるを得ない。いやしくも刑罰法規の解釈である以上、およそ上述の如き明確性を欠いた、漠然たる定義づけは許されないと考えるのであるが、いずれにしても、かかる解釈をとることができない所以は以下述べるところで明らかになるであろう。多数意見は、その定義づけを容認し、国公法九八条五項の「争議行為」には政治目的のためのものをも含むと即断して、被告人らの所為に対する同法一一〇条一項一七号の適用を是認しているのであつて、私のとうてい賛成し能わざるところである。
 二、国公法は、「争議行為」の意義について何ら規定していないのであるが、私は、それを労働関係調整法(以下労調法という。)七条に求むべきものであると考える。「争議行為」という用語は、「同盟罷業」や「怠業」などと異なり、戦後の立法においてはじめて使われたものであつて、従前より慣用されてきた日常語ではなく、純然たる法律上の技術的なことばである。したがつて、その意義如何は、何よりもまず法令に解釈の根拠を求めるべきものであろう。ところで、現行法で「争議行為」なる用語を用いているのは、上述の国公法及び労調法のほか船員法(三〇条)、公共企業体等労働関係法(一七条)、労働組合法(八条)、地方公務員法(三七条)、電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律(二条、三条)及び自衛隊法(六四条)であるが、労調法を除けば、しかもその半ば以上は刑事制裁を伴う争議行為の禁止法であるにもかかわらず、「争議行為」とは何であるかについての定義規定を全く欠いている(ただし船員法のみは「労働関係に関する争議行為」と規定して「争議行為」の一応の枠を明らかにしている。これは昭和一二年法律第七九号の旧船員法において、同法六〇条が「左ノ各号ノ一に該当スル場合ニ於テ船員カ労働争議ニ関シテ労務ヲ中止シ又ハ作業ノ進行ヲ阻害シタルトキハ年以下ノ懲役又ハ五百円以下ノ罰金ニ処ス」としていたところをうけたものであろう。船員法を除くその余の前記の法律が「争議行為」について上述のような限定をしていないことは、これらの立法の趣旨に鑑み、かつ対象を共通にすることを考慮するならば、反対解釈を許すものではなく、逆に類推を強く要請するものと解するのが相当である。)ことは、看過されてはならない事実である。労調法が公布されたのは昭和二一年九月二七日でありその余の前記の法律の制定公布はことごとくこれにおくれている(右の列挙は公布の順序によつた。船員法の公布は昭和二二年九月一日である。)のであるし、労調法をもつていわゆる労働三法の一とよぶかどうかは問題であるとしても、労働組合法と同様、集団的労働関係を規整せんとする基本的な法律であることには間違いないのであるから、これら爾後の立法における「争議行為」なる用語の意義は、大筋においては労調法の定義規定を踏襲したものと解さざるを得ないのである。
 もつとも、説をなす者は、労調法七条をもつて、労働委員会が労働争議の調整に乗り出す前提条件として規定したに過ぎないものとなし、この定義は、調整と無関係な他の法律には適切でなく、公務員沫等の各種の法律における「争議行為」をしかく限定的に解すべきではないという。論者のいう如く、元来、労使の紛争は、自主的な解決を建て前とするのであつて、労働委員会が、過早に介入することは妥当を欠くが故に、いかなる場合にこれらの機関が調整活動を開始すべきかを規制する、いわば一種の歯止めがなければならない。そこで、調整をなすためには労使の紛争が争議状態にまでなつたことを必要とするというのが七条であつて、その点が同条の立法目的の一つであることは争のないところであろう。しかし、これは楯の反面なのである。立法当初における労調法の構成を見ると、労働関係調整法というその名称にもかかわらず、単に労働争議の調整に関する法律であるにとどまらないことは一目瞭然たるものがある。労調法は、まさに労働争議の調整手続(二章乃至四章)及びそれに附帯する争議行為届出義務の設定(九条)、争議行為の保障(旧四一条)並びに争議行為の制限禁止(三六条、三七条、旧三八条、旧三九条)の三本立てとして発足したのであつた。注目すべきは、次の旧三八条である。
 「第三十八条 警察官吏、消防職員、監獄において勤務する者その他国又は公共団体の現業以外の行政又は司法の業務に従事する官吏その他の者は、争議行為をなすことはできない。」そして、右規定に違反した場合の制裁として、当該団体及びその役員に総額一万円の罰金が課せられることになつていた(旧三九条)。かくの如くにして、それまで争議行為を自由になし得た官公吏も、現業職員を除き、その行動を大幅に制約されることになつた次第である。
 右法条は、後に述べるような経緯で昭和二四年法律第一七五号により削除せられ同法三八条はしばらく空欄となつていたが、その後、昭和二七年法律第二八八号を以て緊急調整制度が設けられたときに現に見る如く追加されたので、今は全く旧態をとどめていない。しかし、現行法の構成を見ても、同法はひとり労働争議の調整手続を規定するだけでなく、第五章ではいまなお争議行為の制限禁止を規定しているのである。かくして、同法七条の「争議行為」の定義は、六条にいう「労働争議」(これこそ調整の前提条件を定めるものである。)の基底たる観念を明らかにするとともに、制限禁止の対象たる行為の限界を劃するという意味を、当初より今日まで持ちつづけているわけである。
 三、ところで、労調法七条の定義は、国公法九八条にいう「争議行為」といかなる関係にあるのであろうか。これを知るためには、立法の沿革と変遷をたずねなければならない。労調法は、前述のとおり、公務員の争議行為を禁圧する戦後最初の立法である。しかし、旧三九条の規定した違反に対する処罰はほとんど名目にすぎなかつたばかりでなく、尨大な数にのぼる国鉄、郵政その他の現業公務員(その組織する組合こそ全日本の労働組合運動において中核的な存在であつた。)は、すべて旧三八条による規制の時外にあつた。なお、国家公務員法(昭和二二年法律第一二〇号)は、もとより争議行為について全然ふれるところがなかつたのである。当時の客観的諸情勢を見ると、破壊的な悪性インフレはとめどもなく昂進し、それに刺戟せられた労働運動はいよいよ激しさを加え、昭和二三年七月ごろには五二〇〇円給与ベースをめぐる全官公労組と政府との激突となり、同年八月初旬を期しての官公吏を中心とした未曾有の規模のストアフイキはもはや避けられないという緊迫した情勢になつた。この空前の争議行為を未前に防遏するために発せられたのが、芦田内閣総理大臣に対する同年七月二二日付マッカーテー連合国最高司令官書簡である。この書簡中、本件に関係する個所(これが書簡の主要な部分をなしている。)は、要するに、公務員の性格を論じてそれと私企業従事者との間の顕著な差異を指摘し、それであるが故に、公務員は、私企業において認められているような団体交渉の手段を採ることができないとし、さらに進んで、公務員は、公共の信託に対し無条件な忠誠義務があるのであるから、要求を通すための、政府の運営を妨害する意図を示すような争議行為は、公務員にはとうてい許し難いと論断したのち、国家公務員法はかかる考え方に適合した方向へ全面的に改正する必要があり、日本政府はその作業に即刻着手するべきである旨を示唆したものであつた。これに聴従した政府は、さしあたり、国公法の全面改正にいたるつなぎとして、同月三一日、政令第二〇一号を以て「昭和二三年七月ニ二日附内閣総理大臣宛連合国最高司令官書簡に基く臨時措置に関する政令」(以下政令二〇一号という。)を公布、即日施行した。その内容は三カ条から成るが、一条は、国又は地方公共団体の職員の地位にあるすべての公務員は、争議行為を裏付けとする団体交渉の権利を有しないこと、従前の協約は失効すること、また、労働委員会は、公務員と国等の間における労働争議についてはこれを処理する権限を失い、爾後臨時人事委員会のみが公務員の利益を保護する機関になることなどを定め、二条は、争議権を一切否定し、三条は、前条に違反した場合の罰則を規定したものである。以上の如くであつて、この政令による争議権の否定は、団体交渉権(いうまでもなくこれは使用者を相手方とするものである。)の否定と離れ難くからみあつていることが注目される。要するに、マッカーサー書簡」おける禁圧の要請も、この政令二〇一号による禁止も、団体交渉と密着した、すなわち、被用者対使用者との関係における争議行為を否定したものであり、団体交渉と無関係な業務阻害行為一般を目ざしたものでないと解することができる。換言すれば、公務員について憲法二八条の保障を大幅に取り除いたものなのである。このことは、基本権制限の代償として臨時人事委員会をあげていることからも推察するに難くはあるまい。何となれば、右機関は、後の人事院であつて、現在の人事院と同様、給与その他の勤務条件の改善、その他人事行政の公正確保及び職員の利益の保護に当ることをその目的とし、政治上の要求の調整や社会生活における不平不満の解消などは、およそその任でなかつたからである。
 ところで、同年一一月には、総司令部の強い示唆の下に作成された国公法の改正案が国会に上程せられ、同年一二月その成立を見た。争議行為禁止に関する部分については、関係委員会においても突込んだ審議がなされることなく、無修正で国会を通過し、昭和四〇年法律第六九号による改正前の国公法九八条及び一一〇条一項一七号の制定となり、同時に労調法旧三八条は国家公務員に対してはその適用が除外された。つづいて同条は、労調法の第一次改正(昭和二四年六月一〇日)の際に削除せられ、ここに旧三八条は、国公法九八条、一一〇条一項一七号として生れ変つたのである。
 以上の沿革に徴すると、国公法九八条にいう「争議行為」の意義は、まさに労調法七条に定めるところと何の差異もないと解すべきものと考えるのである。
 四、労調法七条は、「この法律において争議行為とは、同盟罷業、怠業、作業所閉鎖その他労働関係の当事者が、その主張を貫徹することを目的として行う行為及びこれに対抗する行為であつて、業務の正常な運営を阻害する行為をいう」と規定する。これによれば、「争議行為」とよばれるのは、(イ)労働関係の当事者の、(ロ)ぞの主張を貫徹することを目的とする行為であつて、(ハ)その態様が業務の正常な運営を阻害する程度のものでなければならない。いま本件に即して考えると、およそ次のとおりである。
 第一に、「争議行為」は、労働関係の当事者としての立場における行為である。当事者とは、労調法の立法趣旨からいつて、集団的労働関係の場におけるものをさし、個々の労使関係を意味するものではない。個人としての労働者がなす業務阻害行為は、争議行為として扱う限りではないのである。また、労働者は、使用者に対する関係で被用者であるとともに一個の市民もしくは国民であつて、その団体は、一面においては市民もしくは国民の集合体であるから、使用者との対抗・角逐とはかかわりのない、市民もしくは国民としての立場における行動(社会活動または政治活動)に出ることはもとより妨げないし、また事実しばしば行われているわけである。しかし、これは労働関係の当事者としての行動ではない。公務員及びその団体についても事は全く同様であつて、一面においては労働関係の当事者であるが、他面においては市民もしくは国民であり、そしてその集合体なのである。これとまさに対応した関係において、政府も一面においては労働関係上の使用者であり、他面においては主権を行使する国家の機関として現われる。使用者としての政府は、私企業における使用者と本質的に異なるところはないのであるから、公務員の団体による対抗を承認し、これと対等の立場で交渉することが要請されるのである。政府の有するこの二面性については、つとに指摘されているところであつて、疑問の余地はないであろう。公務員は、被用者としては、使用者たる政府と相見えるのであつて、被治者対治者の関係においてではない。公務員が団体として政府に立ち向う行動は、これを大別すると、(イ)労働関係を前提とした要求貫徹のための行動、(ロ)国民の立場で政策の変更を迫り或は施策に反対する行動、(ハ)掲ぐべき要求のない、職務懈怠そのものとしての集団的な職場離脱その他の行動、以上三つが考えられるわけであるが、国公法九八条五項にいう法律用語としての「争議行為」は、そのうちの(イ)に限られるのである。(国公法九八条五項は、争議行為の禁止とともに「政府の活動能率を低下させる怠業的行為」の禁止を規定している。条文の表現だけからすると、争議行為とは別異の怠業的行為なる類型を設けたかの如くであるが、立法の理由を按じ、また事実上の根拠となつたマッカーサー書簡と照合するならば、この規定は、当時官公労組の採つた戦術である定時退庁、一斉賜暇等、一見合法的ないわゆる遵法闘争を封殺せんとして念のために設けられたに過ぎないのであつて、そうである以上、これまた上記(イ)に属する争議行為の一種にほかならない。)
 五、第二に、争議行為とは、主張の貫徹を目的とした行為(労調法七条にいう「対抗する行為」も、大づかみにいえば、ここにいう主張の貫徹に含まれるであろう。)である。主張貫徹の可能性の有無を問わないから、反対のための単なる示威であつても、主張の貫徹のためになされた行為で正常な業務の運営を阻害するものである限り、争議行為たるを妨げない。次に、その主張するところが労働関係上のものであることを要するか、それとも何らの限定もないのかについては問題のあるところであり、同法六条との対比から後者だとする見解もあるが、七条が、前述のように、争議調整の前提条件たる「労働争議」とは何であるかを明らかにするための定義規定をもかねていること、そしてまた、「争議行為」が労働関係の当事者たる立場においての行為でなければならないことなどを考慮するならば、これを労働関係上の要求に限ると解すべきであろう。そうだとすれば、国民の立場において政府の施策に反対し又はその政策の変更を強いるためのいわゆる政治ストは、国公法九八条五項にいう法律用語としての「争議行為」には含まれないものといわなければならない。
 本件の職場大会は、約七〇名にものぼる多数の裁判所職員の参加の下に、午前八時三〇分より九時三〇分までの間、勤務時間に食いこんで開催されたものだというのであるから、裁判所の正常な業務の運営を阻害したことは否定できないのであるが、その標榜したところは、新安保条約に対する抗議意思の表明であり、主権の行使者としての政府に向けた行動であつて、使用者としての政府を名宛人とするものではなかつたのである。そしてまた、その主張するところが労働関係上の、例えば勤務条件等に関するものでなかつたことは一点の疑もないのであるから、前述したところにより、これが「争議行為」に当たるものでないことは多言を要しない。かかる行動に対しては、他の法条による規制はあり得るとしても、国公法一一〇条一項一七号を以て問擬すべき限りではないのである。
六、元来、公務員は、憲法二八条にいう動労者であり、原則的には同条の保障を受けるきものであるが(昭和三九年(あ)第二九六号同四一年一〇月二六日大法廷判決、刑集二〇巻八号九〇一頁、以下全逓中郵事件判決という。)、憲法二八条の法意とするところは、「企業者対動労者すなわち使用者対被使用者というような関係に立つ者の間において、経済上の弱者である動労者のために団結権乃至団体行動権を保障したもの」(昭和二二年(れ)第三一九号同二四年五月一八日大法廷判決、刑集三巻六号七七二頁)であつて、この「狙いは、憲法二五条に定めるいわゆる生存権の保障を基本理念とし、動労者に対して人間に値する生存を保障すべきものとする見地に立ち、……経済上劣位に立つ動労者に対して実質的な自由と平等とを確保する手段として、その団結権、団体交渉権、争議権を保障しようとするものである」(全逓中郵事件判決九〇五頁)。而して、憲法によるこの労働基本権の保障は、労働組合法によつて具体化されているのであるが、同法の目的とするところは、労働者が使用者との交渉において対等の立場に立つことができるように団結を擁護し(同法一条一項前段)、団体交渉及び団体行動を保護助成する(同項後段)ことにあり、労働者乃至その団体に対し、使用者との関係を捨象した、対国家、対社会の面において、一般国民乃至その団体と別異の特権的な処遇を与えようとするものではない。労働組合法の擁護する団結権は、同法一条一項に示すところのものであり、その保護する団体行動は、同項に規定する範囲に限局されるのである。労働組合に政治活動の自由のあることはいうまでもないし(昭和三八年(あ)九七四号同四三年一二月四日大法廷判決、裁判所時報五一一号二頁参照)、労働組合の政治活動が刑事法上当然に違法と評価さるべき何らの理由もないけれども、労働組合法は、労働組合の一般政治活動については、労使の経済上の取引とは没交渉である限り、保護も与えず、禁止もなさず、いわば黙して語らないのである(二条四号は、いかなる団体を同法上労働組合として取扱うかという見地にたつて、その資格要件を定めたに過ぎない。)。
 ところで、労調法旧三八条は、旧労働組合法(同法は、公務員の労働基本権を原則的には保護していたのである。)の規定にもかかわらず、現業を除く官公吏の争議権に重大な制約を加えたものであるから、同法条は、旧労働組合法の特別法たる性質を有するわけである。けだし、これらの公務員は、使用者との関係において団結権、団体交渉権及び争議権の保護を受けていたところ、そのうちの争議権についてこれを禁圧せられるにいたつたのであるから、その対象たる争議権とは、憲法二八条にいうところのものにほかならず、すなわち使用者との関係において争議行為をなすところの権利であることはむしろ自明というべきであるからである。要するにいかなる意味においても、それ以外の面における団体行動を規制するものではないとしなければならない。而して、さきに述べた沿革からいつて、国公法九八条は、労調法旧三八条を換骨奪胎したものというべきであるから、国公法九八条は、まさに労働組合法の特別法たる関係となり、同条がおよそ政治活動の制約を目ざしたものでないことに、たやすく想到し得る筈なのである。
 七、これを当該法条の表現に徴すると、同条には、「職員は、政府が代表する使用者としての公衆に対して……争議行為をなし又は……怠業的行為をしてはならない」云々とある。公衆が言葉の本来の意味において使用者であるかどうかはともかく、およそ「争議行為」が使用者に向けてなされるものであるとしていることは、これを通じて看取するに十分である。もとより「公衆」は組織されているわけではないから、「公衆」と公務員との間に法律関係が成立するに由がなく、労働関係は任命権者を通じて政府との間に生ずるわけであつて、使用者としての「公衆」というのは、主権が国民に存し、一切の公権力は国民に由来するという象徴的意味でしかあるまい。それはそれとして、同条にいう「争議行為」が使用者としての政府を名宛人にしていること、その点で労調法七条と符節を合するもののあることに留意さるべきである。いうまでもなく、使用者とは、労働契約の当事者として、労働者を雇用する地位にあるものの謂であり、主権の行使者としての政府とは全然別の概念である。労働関係とは無関係の、例えば政治的な要求を掲げての統一行動は、それが正常な業務を阻害するものであつても、後者の意味においての政府に挑戦するものにほかならず、国公法九八条の関知するところでないことはいよいよ以て明らかであると信ずる。
 八、本件職場大会は、新安保条約に反対する純然たる政治活動である。「ストライキ」という言葉は日常的な慣用語であるから、これを政治ストとよぶことは自由であるが、それは学生の安保反対のための一斉休学をストライキとよぶことと多く異なるところはないのであつて、国公法九八条にいう「同盗罷業」は、これと厳密に区別されなければならない。けだし、同条の「同盟罷業」は、同条にいう「争議行為」の下位概念であり、上述した「争議行為」の定義はすべて「同盟罷業」に当てはめられなければならないからである。
 ところで、前示全逓中郵事件判決は、公共企業体等労働関係法一七条一項に違反した争議行為であつても、それが労組法一条一項の目的を達成するためのものであり、かつ単なる罷業または怠業等の不作為が存在するにとどまり、暴力の行使その他の不当性を伴わない場合には、刑事制裁の対象とはならないが、「もし争議行為が労組法一条一項の目的のためではなくして政治的目的のために行われた場合」等においては、「争議行為としての限界性をこえるもので、刑事制裁を免れない」と説示している。人あるいはこれを目して、当裁判所は一般的に公務員等によるいわゆる政治ストの可罰性を認めたものとするかも知れない。しかし、全逓中郵事件は、公共企業体等労働関係法(これは、いうまでもなく、争議行為に対する刑罰規定をもたない。)の適用下にある郵政職員について、郵便法の罰則規定である同法七九条一項の適用があるか否かを論じたものに過ぎず、さらに進んで、一般に、公共企業体等の職員によるいわゆる政治ストが刑罰の対象となるかどうかは右の事件では全く問題外であつたのである。のみならず、いわゆる政治ストが国公法九八条にいう「争議行為」でないことは、既に論じたとおりであるから、国家公務員による政治的目的のための本件行為が可罰的であるかどうかは、国公法一一〇条一項一七号違反として起訴された本件においては、全く問題にならないのである。(この点については、憲法一五条二項に定める公務員の中立性と憲法二一条による市民としての表現の自由との関連において、国公法一〇二条、一一〇条一項一九号及び人事院規則一四―七の合憲性もしくはその適用の範囲が判断されなければならないのであるが、それは別途検討さるべきものであつて、今これを論ずる限りではない。)
 以上要するに、国公法九八条の「争議行為」に属しない本件職場大会のあおり行為に対し、同法一一〇条一項一七号の適用を是認した原審判決には、法律の解釈を誤つた違法があり、破棄をまぬかれない。
 検察官 平出禾、同岡崎格、同川口光太郎、同高橋正八 公判出席
  昭和四四年四月二日
     最高裁判所大法廷
            裁判官    入   江   俊   郎
            裁判官    草   鹿   浅 之 介
            裁判官    城   戸   芳   彦
            裁判官    石   田   和   外
            裁判官    田   中   二   郎
            裁判官    松   田   二   郎
            裁判官    岩   田       誠
            裁判官    下   村   三   郎
            裁判官    色   川   幸 太 郎
            裁判官    大   隅   健 一 郎
            裁判官    松   本   正   雄
            裁判官    飯   村   義   美
 裁判長裁判官横田正俊、裁判官奥野健一は、退官のため署名押印することができない。
            裁判官    入   江   俊   郎