判例

S55.12.23 第三小法廷・判決 昭和49(行ツ)4 懲戒処分取消(第34巻7号959頁) プラカード事件

判示事項:

一 国家公務員法一〇二条一項、人事院規則一四−七第五項四号、第六項一三号の規定の違背を理由とする懲戒処分と憲法二一条

二 一般職の国家公務員がメーデーの集団示威行進に内閣打倒等と記載された横断幕を掲げて行進する行為が人事院規則一四−七第五項四号、第六項一三号に該当するとされた事例

要旨:

一 国家公務員法一〇二条一項、人事院規則一四−七第五項四号、第六項一三号の規定の違背を理由として懲戒処分を行うことは、憲法二一条に違反しない。

二 郵便外務を職務とする一般職の国家公務員が、メーデーの集団示威行進に際し約三〇分間にわたり、「アメリカのベトナム侵略に加担する佐藤内閣打倒」と記載された横断幕を掲げて行進する行為は、特定の内閣に反対する政治的目的を有する文書を掲示したものとして人事院規則一四−七第五項四号、第六項一三号に該当する。



主    文

     原判決を破棄し、第一審判決を取り消す。
     被上告人の請求を棄却する。
     訴訟の総費用は被上告人の負担とする。
         

理    由

 上告代理人藤堂裕の上告理由及び上告代理人貞家克己、同近藤浩武、同矢崎秀一、同粂田富史、同中原司良の上告理由第一点について
 一 本件につき原審が確定した事実関係は、次のとおりである。
 (一) 被上告人は、昭和三六年一〇月五日本所郵便局に臨時雇として採用され、同三九年七月一日第二集配課勤務となり、郵便外務(配達)をその職務とする一般職の国家公務員であつて、行政過程に関与せず、単に機械的労務を提供するにすぎない非管理職の現業公務員である。
 (二) 被上告人は、日曜日で勤務時間外である同四一年五月一日、東京都立代々木公園で行われた第三七回中央メーデーの集会に参加し、さらに同集会後に行われたメーデー参加者による集団示威行進に参加したが、右集団示威行進に際し、会場出発後約三〇分間にわたり、「アメリカのベトナム侵略に加担する佐藤内閣打倒―首切り合理化絶対反対全逓本所支部」と記載された横断幕(横約二・五メートル、縦約一メートルの布製の横断幕の両端を竹竿で支えるもの)を掲げて行進した。右行為は被上告人の職務又は国の施設を利用することなく行われたものである。
 (三) 右横断幕の記載文言は、全逓信労働組合本所支部の選定にかかるものであり、被上告人は、同支部青年部副部長として横断幕の記載文言の選定に参加し、また自らその文言を書くなどして指導的な役割を果たしたものである。
 (四) 上告人は、被上告人の右行為は人事院規則一四―七(以下「規則」という。)五項四号、六項一三号に該当し国家公務員法(以下「法」という。)一〇二条一項に違反するから、被上告人は法八二条一号及び三号に該当するとして、同年一一月二二日付で被上告人に対し戒告の懲戒処分をした。
 二 原審は、以上のような事実を確定したうえ、法一〇二条一項、規則五項四号、六項一三号の規定は被上告人の本件行為に適用される限度で憲法二一条に違反するから、右規定を適用してされた本件戒告処分は違法である、と判断した。
 三 論旨は、要するに、原審が法一〇二条一項、規則五項四号、六項一三号の規定は被上告人の本件行為に適用される限度において憲法二一条に違反すると判断したことは、憲法の解釈適用を誤つたものである、というのである。
 四 ところで、法一〇二条一項、規則五項四号、六項一三号の規定の違背を理由として法八二条の規定により懲戒処分を行うことが憲法二一条に違反するものでないことは、当裁判所の判例(最高裁昭和四四年(あ)第一五〇一号同四九年一一月六日大法廷判決・刑集二八巻九号三九三頁)の趣旨に徴して明らかであるから、原判決は憲法二一条の解釈適用を誤つたものというべきである。そして、右違法が判決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は、その余の点につき判断するまでもなく、破棄を免れない。
 そこで、進んで、本訴請求の当否について判断するに、被上告人はメーデーにおける集団示威行進に際し約三〇分間にわたり、「アメリカのベトナム侵略に加担する佐藤内閣打倒」と記載された横断幕を掲げて行進したというのであるから、被上告人の右行為は特定の内閣に反対する政治的目的を有する文書を掲示したものとして規則五項四号、六項一三号に該当し法一〇二条一項に違反するものと解するのが相当である。
 次に、被上告人は本件戒告処分は公務員の憲法擁護義務に違反すると主張するが、前記のとおり被上告人の本件行為を理由に戒告処分をすることは、憲法に違反するものではないから、右主張は採用することができない。また、郵政職員が法一〇二条一項に違反する政治的行為を行つた場合には、それが労働組合活動の一環として行われたとしても、法八二条の規定による懲戒処分の対象とされることを免れない。
 したがつて、被上告人の本件行為は、法八二条一号及び三号の懲戒事由に該当するというべきであるが、上告人が職員につき懲戒事由があると認める場合にいかなる処分を選択すべきかについては上告人の裁量に任されているものと解されるところ、一方において被上告人の行為が前記のとおりのものであり、他方において上告人の選択した被上告人に対する処分が懲戒処分として最も軽い戒告処分であることを考えると、仮に被上告人が主張するように他に被上告人と同様の行為をしながら処分を受けない者がいたとしても、右処分をもつて社会通念に照らし合理性を欠き懲戒権の濫用にあたるものということはできない。してみれば、被上告人の本件行為を理由としてされた本件戒告処分にはこれを取り消すべき違法はなく、同処分の取消を求める被上告人の請求は失当として棄却すべきものであり、これを認容した第一審判決は取消を免れない。
 よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条一号、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官環昌一の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
 裁判官環昌一の反対意見は、次のとおりである。
 本件の主要な論点は、(ア) 法一〇二条一項、規則五項四号、六項一三号の規定が憲法二一条に違反するものでないかどうか、(イ) 右各規定が合憲であるとされた場合、被上告人の本件行為に右各規定を適用してされた本件懲戒処分が正当であるかどうかである。多数意見は、当裁判所昭和四九年一一月六日の大法廷判決(以下「大法廷判決」という。)の趣旨に徴して法一〇二条一項、規則五項四号、六項一三号の規定の違背を理由として懲戒処分を行うことが憲法二一条に違反するものではないと判示する。そこで、以下大法廷判決の判示するところに即しつつ右の論点について順次私見をのべることとする。
 一 先ず(ア)の論点について検討する。
 (一) 大法廷判決は公務員(ここでは国家公務員を念頭において考える。)に対する政治的行為制約の憲法上もつ意義一般について、政治的行為が政治的意見の表明としての面において憲法二一条による保障を受けるものであり、しかも同法条の保障する表現の自由は、民主主義国家の基盤をなし、国民の基本的人権のうちでもとりわけ重要なものであるが、同時に公務員によつて運営される行政の中立性の確保と国民のこれに対する信頼の維持もまた憲法の要請するところであるから、特に行政にたずさわる公務員に対し政治的中立性を損なうおそれのある政治的行為をすることを禁止することは、それが合理的で必要やむをえない限度にとどまるものである限り、憲法の許容するところであるとの趣旨を判示する。右の判示はもとより正当であり、国民の表現の自由を国の権力特に行政上のそれの行使による侵害から保障するという観点からすれば、公務員がその公務の執行に当つて政治的中立性を堅持すべきことはむしろ表現の自由保障の基本条件であるとさえいうことができる。
 (二) 他方、公務員も、その生存のすべてを国に捧げているものではなく、現行法のもとではその公務員としての職種・地位等によつて広狭の差は大きいがそれぞれに国民全体の一員としての私的生存の部面を保有するものであり、その面において政治的意見の表現を含む表現の自由の保障を受けるべきものであることはいうまでもないから、公務員に対する政治的行為の禁止は、それが前述のように合理的で必要やむをえない限度にとどまる限りにおいてのみ憲法上許容されるものであり(以下このことを「合理的最小限度の原理」という。)、当然のこととして、右の禁止はあくまでも例外としてのものである。このことは、公務員の政治的行為の制限を論ずるに当つて忘れることがあつてはならないものと考えられる。
 (三) 大法廷判決は、前記判示の趣旨を前提として、法一〇二条一項、規則五項三号、六項一三号の規定が、公務員に対し、その職種や職務権限、勤務時間の内外、国の施設の利用の有無等を区別することなく、あるいは行政の中立的運営を直接、具体的に損なう行為のみに限定することなく、公務員の一定の行為を一律に違法として禁止しているからといつて右各規定が合理的最小限度の原理に反するものではないとの趣旨を判示する。この判示の趣旨は、本件における法一〇二条一項、規則五項四号、六項一三号の規定の合憲性についても妥当するものと考えられるが、私も、これらの規定が前記のようにすべての公務員に一律に一定の類型の行為を政治的行為として禁止していることのみを根拠として、それが合理的最小限度の原理に反する違憲の立法であるとするのは相当でないと考える。しかしながら、すでにのべたように、ひとしく公務員といつても、現行公務員法制のもとにおいてその生存を国に捧げる度合いないし広狭は多種多様であるから、合理的最小限度の原理に基づく憲法上の要請をより一層高度に達成しようとすれば、各種の公務員それぞれの実体に即応するよう緻密に配慮した立法がされることが望ましいところであり、その意味で現行法制の不十分を指摘することができないわけではないであろう。しかし、そのためには現行公務員制度全体の再検討を前提とする実質上、立法技術上の多大の困難が存することは見易いところであることからすれば、後にのべるようにこれらの規定の解釈・適用の段階において合理的最小限度の原理に対する慎重な考慮がされることを前提とする限り、右の各規定の合憲性はこれを肯定すべきものと考える。
 (四) 大法廷判決は、更に、公務員の政治的行為に対する法一一〇条一項一九号(罰則)の適用に関してではあるが、具体的な行為につき罰則を適用する限度においてという限定を付して右罰則を違憲と判断することは、法令の一部を違憲とするにひとしいとして、このような判断の形式を用いることは許されないとの趣旨を判示する。この趣旨は、本件における前記法一〇二条一項、規則五項四号、六項一三号の規定の合憲性の判断についても同様であるというべきである。私は、以上のように考えるから、右法及び規則の規定が憲法二一条に違反するものでないと解する。
 二 そこで進んで前記(イ)の論点について考察する。
 (一) 法一〇二条一項の委任に基づき公務員に対して禁止される政治的行為を目的と行為の両面から定義する規則五項、六項それぞれの各号の規定を通覧すると、その内容は各種の行為を類型別に極めて細密かつ網羅的に定めるものということができ、しかもその禁止の効力は行為がなんらの名義又は形式をもつてするを問わず及ぶものとされている(規則六項一七号)から、公務員の行う政治的行為として許されるのは、法一〇二条一項の定める選挙権の行使のほか、辛うじて極めて限られた範囲の消極的行為だけであるといつてよいようにみえる。その結果、このように定められた規則五項、六項それぞれの各号の規定を具体的な公務員の行為に適用するに当つて、その行為がこれら各号の規定の定める要件に該当するかどうかをその形式的文言のみによつて決するとすれば、およそ政治的色彩のある行為であつて許容される行為を発見するのに苦しまざるをえないであろう。のみならず、大法廷判決の判示するように、特に国家公務員については、その所属する行政機構の多くは広範囲にわたるものであるから、当該政治的行為のもたらす弊害が軽微なものであつても、そのような行為が累積されることによつて現出する事態を軽視し、その弊害を過少に評価することがあつてはならないということになると、当該公務員の具体的な行為が、その者の職種・職務権限や当該行為の態様等から、実質上行政の中立性を損ない、これに対する国民の信頼の維持をゆるがすようなものとは法的良識に照して認められないような場合にまで禁止違反の責めを問うことになりかねず、かくては個々の公務員にとつて合理的最小限度の原理は単なる名目ないし画餅にすぎないこととなる場合がないとはいえない。このような見地から、私は、大法廷判決が、衆議院議員の選挙に際して、特定の政党を支持する政治的目的を有する文書を掲示し又は配布する行為が規則五項三号、六項一三号の規定に違反するものであり、この行為に法一一〇条一項一九号の罰則を適用することは、当該公務員の職務内容が機械的労務の提供にとどまるものであり、当該行為が勤務時間外に、国の施設を利用することなく、職務を利用せず又はその公正を害する意図なく、かつ、労働組合活動の一環として行われた場合であつても違憲でない旨判示する趣旨を、規則五項、六項それぞれの各号の定める政治的目的を有する行為のすべての解釈・適用にあたつて安易に一般化すべきものではないと考える。要するに、合理的最小限度の原理は、関係実定法規の憲法二一条への適合性の判断基準であると同時に、その解釈・適用の基本原則であり、かつ、その結果として当該公務員に対してされた具体的処分の正当性の有無を決定する原理でもなければならないと思うのである。
 (二) 以上の観点に立つて本件をみると、被上告人の本件行為の社会的実体は、昭和四一年のメーデーにおける示威行進に一労働組合員として参加したことにほかならない。本件横断幕は行進の趣意をあらわす標識であり、その掲出行為は本件行進を示威行進たらしめる要素として行進そのものに包摂される行為というべきである。そして本件行進に接する一般国民は右掲出の結果としてそれがメーデーの一行事であることを容易に理解しえたものと考えられる。当時すでにわが国においても、メーデーが年中行事として世界的に広く行われる労働者の祭典であり、私企業労働者のみならず公務員その他の公共事業の労働者等が参加して、労働者の団結と連帯を誇示する行事であることの認識は国民の間に広く行きわたつており、たとえそこに何ほどかの政治的色彩が認められるとしても、公務員の労働組合等がこれに参加することによつて、国民に、行政の中立性が損なわれるとの危虞の念を起こさせるようなものでなかつたし、このような立場から右行事を論ずることが一般であつたような事実もなかつたことは公知の事実というべきである。また、本件横断幕に記載された文言も右メーデーにおけるスローガンの一つであると認められ、被上告人ないしその属する一群の行進者が、特にメーデーの行進を利用して当時の佐藤内閣の打倒を国民に訴えるべく一般の参加者とは特異の行動をしたものであるとも認められない。そうすると、右横断幕の文言の故にその行進が政治的目的をもつものと解することができないものではないとしても、横断幕の掲出そのものに特に一個の政治的行為としての法的意義を認めようとすることは、右にのべたメーデーにおける行進の実体にそぐわない無理な解釈というほかはない。また、このように解することは、規則六項一〇号の規定が特に政治的目的をもつてする示威行進を政治的行為の類型の一つに掲げたうえ、おそらくは合理的最小限度の原理に配慮して単に行進に参加したにとどまる公務員の行為を禁止すべき行為としなかつたと解せられる右規定の趣旨を没却するものとのそしりを免れないものである。なお、原審認定の事実中には、被上告人が右示威行進を企画し、組織し若しくは指導したとの事実をうかがうに足るものは存しない。
 そうすると、被上告人の本件行為を規則六項一〇号所定の類型に属する行為とみることなく、六項一三号の規定によつて禁止された政治的行為に当るものとしてされた本件懲戒処分には法令の解釈・適用を誤つた違法があり、本件懲戒処分はすでにこの点において取消を免れないものというべきである。原審が、右各規定を、被上告人の本件行為に適用する限度において違憲としたことは、前記大法廷判決の趣旨に徴して誤りとするほかはないが、本件懲戒処分を取り消すべきものとした結論はこれを維持すべきものであるから、結局論旨は理由がなく、本件上告はこれを棄却すべきものである。
     最高裁判所第三小法廷
         裁判長裁判官    環       昌   一
            裁判官    伊   藤   正   己
            裁判官    寺   田   治   郎