判例

S26.01.17 大法廷・判決 昭和25(れ)548 殺人、賍物故買(第5巻1号20頁)

判示事項:

一 酩酊すると暴行する習癖のある注意義務

二 殺人の公訴事実中には過失致死の事実も含まれるか。

要旨:

一 本件被告人の如く、多量に飲酒するときは病的酩酊に陥り、因つて心神喪失状態において他人に犯罪の害悪を及ぼす危険ある素質を有する者は、居常右心神喪失の原因となる飲酒を抑止又は制限する等前示危険の発生を未然に防止するよう注意する義務あるものといわねばならない。しからば、たとえ原判決認定のように、本件殺人の所為は被告人の心身喪失時の所為であつたとしても、(イ)被告人にして既に前示のような己れの素質を自覚していたものであり且つ(ロ)本件事前の飲酒につき前示注意義務を怠つたがためであるとするならば、被告人は過失致死の罪責を免れ得ないものといわねばならない。

二 殺人の公訴事実中には過失致死の事実をも包含するものと解するを至当とすべきである。

主    文

     原判決を破棄する。
     本件を札幌高等裁判所に差し戻す。
         

理    由

 検察官上告趣意第二点第三点について。
 本件殺人の点に関する公訴事実に対し、原判決の判示によれば「然しながら……被告人には精神病の遺伝的素質が潜在すると共に、著しい回帰性精神病者的顕在症状を有するため、犯時甚しく多量に飲酒したことによつて病的酩酊に陥り、ついに心神喪失的状盤において右殺人の犯罪を行つたことが認められる」旨認定判断し、もつてこの点に対し無罪の言渡をしているのである。しかしながら、本件被告人の如く、多量に飲酒するときは病的酩酊に陥り、因つて心神喪失の状態において他人に犯罪の害悪を及ぽす危険ある素質を有する者は、居常右心神喪失の原因となる飲酒を抑止又は制限する等前示危険の発生を未然に防止するよう注意する義務あるものといわねばならない。しからば、たとえ原判決認定のように、本件殺人の所為は被告人の心神喪失時の所為であつたとしても、(イ)被告人にして既に前示のような己れの素質を自覚していたものであり且つ(ロ)本件事前の飲酒につき前示注意義務を怠つたがためであるとするならば、被告人は過失致死の罪責を免れ得ないものといわねばならない。そして、本件殺人の公訴事実中には過失致死の事実をも包含するものと解するを至当とすべきである。しからは原審は本件殺人の点に関する公訴事実に対し、単に被告人の犯時における精神状態のみによつてその責任の有無を決することなく、進んで上示(イ)(ロ)の各点につき審理判断し、もつてその罪責の有無を決せねばならいものであるにかかわらず、原審は以上の点につき判断を加えているものと認められないことは、その判文に照し明瞭である。しからば原判決には、以上の点において判断遣脱又は審判の請求を受けた事件につき判決をなさなかつた、何れかの違法ありというの外なく、即ち論旨はこの点において理由ありといわねばならない。
 そして、本件公訴事実である賍物故買の罪と殺人の所為とは、併合罪の関係にあること明瞭であるから、もし前示殺人の所為につき有罪と認定されるものとすれば、被告人は以上両罪につき併合罪として処断せられる関係にあるをもつて、この点ようして原判決全部を破棄するものとする。
 よつて、検察官の上告は以上の点において理由があるから、爾余の論旨益びに弁護人の上告諭旨に対しては判断を省略し、旧刑訴四四七条四四八条の二に従い、主文のとおり判決する。
 この判決は、裁翻官斎藤悠輔の少数意見を除き、全裁判官一致の意見によるものである。
 裁判官斎藤悠輔の反対意見竝にその前提である上告趣意第一点に対する単独意見は次のとおりである。
 検察官の上告趣意第一点について。
 原判決は、先ず本件公訴事実を引用するのに、その起訴状に記載されている公訴事実中より故ら「突嗟に殺意を生じ」とある部分を省き、且つその公訴事実に対する判断として「被告人にAに対する暴行又は傷害の意思があつたとの点を除き」その他の点はこれを認めることができると説示しているだけで、右の除外した点を少しも判断していないのであるから、本件公訴事実中の被告人の主観的認識であるAに対する「殺意」若しくは「暴行又は傷害の意思」についてはこれを肯定したのか否定したのかその理由を知ることができない。従つて、原判決は、被告人が本件起訴状記載の殺人行為を心神喪失の状態において行つたとしたのか、若しくは第一審判決の認定したような傷害致死の行為を同状態において行つたとしたのか、又は過失傷害致死の行為であるが心神喪失中の行為であるから無罪としたのか等その判決の実質的確定力(いわゆる既判力)を明らかにすることができない。
 次に、原判決は「被告人及び証人B、Cの各供述記載及び当審鑑定人Dの鑑定書の記載を綜合すると、被告人には精神病の遺伝的素質が潜在すると共に、著るしい回帰性精神病者的顕在症状を有するため、犯時甚だしく多量に飲酒したことによつて病的酩酊に陥り、ついに心神喪失の状態において右殺人の犯罪を行つたことが認められる」と説示している。しかし、原判決挙示の被告人及び右証人の供述によれば、犯時可成りの量の飲酒をした事実は認められるが、所論のごとく被告人の精神病的状態に関してはこれを窺い知ることができないし、また、右鑑定書には所論摘示のごとく「この精神状態は、直接の原因は、勿論多量の飲酒による酩酊のためであるが、被告人の素質を考える時、精神病の遺伝的素質が潜在すること、精神病質(変質者)としての心神の顕在症状の所持者であること、又当時砂糖闇買事件や婦人関係による家庭的不和による精神過労等の諸因子が基調にあつたため、病的酩酊に陥つたものと思われる云々」と附言しており、原判決認定のごとき精神病的素質の潜在と回帰性精神病者的顕在症状を有するだけのために、多量飲酒と相待つて病的酩酊に陥つたものとは記載されていない。しかも鑑定書記載のごとき精神過労の因子について原判決中にこれを確認するに足る証拠は少しも挙げられていないのである。
 果して然らば、原判決には判決の理由に不備あるか又は充分な証拠に基かないで心神喪失の事案を認定した違法があるものというべく、所論は結局その理由があつて、原判決は、この点において、破棄を免れないものと考える。
 同第二、三点について。
 所論は、要するに、原判決が本件犯行時に被告人が心神喪失の状態にあつたこと及びこの状態は被告人の自ら招いた酩酊によつて一時的に招来されたものであることを認めながら、斯る酩酊を自ら招いたことについての責任条件と責任能カとに十全な審理を尽さず直ちに被害者Aの死を生ぜしめた被告人の行為について全然刑事責任のないものと判断したことは、畢竟審理不尽の結果審判の請求を受けた事件について判決をしなかつた違法があるか又は事実確定に関する法則若しくは実体刑罰法令の解釈を誤つたかの違法があるものとするものである。
 しかし、原判決は、前論旨で述べたように要するに被告人は精神病的素質の潜在や精神病者的顕在症状を有するたあ(鑑定書にはその他前論旨で引用したような特別な因子があると記載されている)犯時甚だしく多量に飲酒したことによつて病的酩酊に陥りついに心神喪失の状態となつた旨を認定しているかだけで、所論のように単に自ら招いた酩酊によつて一時的の心神喪失の状態になつたこと若しくは多数説のごとく被告人が多量に飲酒するときは病的酩酊に陥り、因つて心神喪失の状態において他人に犯罪の害悪を及ぼす危険ある素質を有すること等は阿等認定していない。そして、いわゆる「原因において自由なる行為」を犯罪責任ありとするのは、もとより「心神喪失中の行為」そのものを犯罪責任ありとするのではなく、むしろその「心神喪失中の行為」をば一種の道具又は因果関係の一部と観察して、これに先行する心神喪失の原因となつた自由意思行為を犯罪行為とするものである。従つて、かかる特殊異常な場合における「原因において自由なる行為」の責任を審判するには、かかる特別な場合の行為につき明確な起訴のあることを要すること論を俟たない。しかるに、本件起訴状には単に「被告人は、昭和二三年四月二二日午前一一時過頃より函館市a町b番地飲食店「E」事F方に於て同家使用人A当二七と会飲したるが同日午後二時過頃同家調理場に於て偶々来合せたる同家女給Cを醉余故なく殴打したるを居合せたる前記A等が制止したるに憤慨し突嗟に殺意を生じ傍にありたる肉切疱丁(証第六号)を以て同人の略左蝋蹊部を突刺し因て左胯動脈切断に依る出血に依り其の場に即死せしめたるものなり」とあるだけで、所論のごとき酩酊によつて一時的の心神喪失の状態に陥つて本件犯行を為したこと並びに酩酊又はこれによる一時の心神喪失が故意又は過失によつて自ら招いたものであることは、全然記載されていないのである。果たして然らば、所論は既にその前提において採用することはできない。また多数説は、本件起訴状並びに原判決等を精査しないで、通常の殺人行為と所論のような特殊異常な殺人行為とを混同し却つて、自ら審判の請求を受けない事件について判決をする違法を犯するのというべく、到底賛同することはできない。
 検察官 長部謹吾関与
  昭和二六年一月一七日
     最高裁判所大法廷
         裁判長裁判官    塚   崎   直   義
            裁判官    長 谷 川   太 一 郎
            裁判官    沢   田   竹 治 郎
            裁判官    霜   田   精   一
            裁判官    井   上       登
            裁判官    栗   田       茂
            裁判官    小   谷   勝   重
            裁判官    島           保
            裁判官    斎   藤   悠   輔
            裁判官    藤   田   八   郎
            裁判官    岩   松   三   郎
            裁判官    河   村   又   介