判例

S33.08.05 第三小法廷・判決 昭和31(オ)215慰藉料損害賠償請求(第12巻12号1901頁)

判示事項:

生命侵害に至らない近親者の損害に対する慰謝料請求の可否

要旨:

生命侵害に至らない近親者の損害に対しても、被害者が死亡したときに比肩し得べき精神上の苦痛を近親者が受けた場合には、民法709条、710条に基づいて自己の権利として慰謝料を請求できる。

主    文

     本件上告を棄却する。
     上告費用は上告人の負担とする。
         

理    由


 上告代理人池留三の上告理由第一点について。
 所論は、民法七一一条の法意は生命を害された者の近親者以外の者に慰藉料の請求を認めないことにあると主張し、身体傷害を受けたにとどまる被上告人一枝の母被上告人久子の慰藉料請求を認容した原判決の違法をいうのである。
 しかし、原審の認定するところによれば、被上告人一枝は、上告人の本件不法行為により顔面に傷害を受けた結果、判示のような外傷後遺症の症状となり果ては医療によつて除去しえない著明な瘢痕を遺すにいたり、ために同女の容貌は著しい影響を受け、他面その母親である被上告人久子は、夫を戦争で失い、爾来自らの内職のみによつて右一枝外一児を養育しているのであり、右不法行為により精神上多大の苦痛を受けたというのである。ところで、民法七〇九条、七一〇条の各規定と対比してみると、所論民法七一一条が生命を害された者の近親者の慰藉料請求につき明文をもつて規定しているとの一事をもつて、直ちに生命侵害以外の場合はいかなる事情があつてもその近親者の慰藉料請求権がすべて否定されていると解しなければならないものではなく、むしろ、前記のような原審認定の事実関係によれば、被上告人久子はその子の死亡したときにも比肩しうべき精神上の苦痛を受けたと認められるのであつて、かかる民法七一一条所定の場合に類する本件においては、同被上告人は、同法七〇九条、七一〇条に基いて、自己の権利として慰藉料を請求しうるものと解するのが相当である。されば、結局において右と趣旨を同じうする原審の判断は正当であり、所論は採用することができない。
 同第二点および第三点について。
 原審は、本件事故発生当時の情況に関する認定事実と挙示の証拠とを綜合し、被害者である被上告人一枝の当時の年令をも斟酌して、同女の過失を認めなかつたのであり、同女が責任能力を欠いていることを理由にその過失を否定したものではないから、その責任能力の有無につき判示する必要はないものというべきである。右原審の判示に経験則違背の違法は認められないし、また、右の判示により、同女の監督義務者である被上告人久子の過失を肯定する余地のないことも明らかであるから、原審が被害者の過失を斟酌しなかつたのはもとより当然であり、所論はすべて採用することができない。
 同第四点について。
 所論は、上告人に対する原判決を攻撃するものではなく、上告適法の理由とはなし得ないから、採用に値しない。
 よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。 (裁判長裁判官 河村又介 裁判官 島保 裁判官 垂水克己)

 上告代理人池留三の上告理由
第一点 原判決は被上告人本橋久子の精神上の損害につき上告人に損害賠償義務を命ずる理由として次のように判示している。即「被控訴人一枝は本件事故のため生れもつかぬ容貌となり、かつ前段認定のような外傷後遺症のため長年月の治療を要し、しかも全く回復することが不可能の状況にあることが認められ被控訴人久子がこれにより精神上多大の苦痛を受けたことは明らかである。このように近親者の身体傷害により精神上の苦痛を受けた者はその者自身直接の被害者であると云うことができるのみならず仮に直接の被害者と云うことができないとしても民法第七百十条、第七百十一条を類推適用し被控訴人久子の精神上の損害につき損害賠償を得せしめるのが相当である。」と説示し更に「近親者の身体傷害によりその死にまさる精神上の苦痛を受ける場合もあることを考えれば近親者の身体傷害の場合に民法第七百十一条を類推適用するのを相当とする場合のあることは否定し得ないところであり本件はまさにこれにあたるものと云うべきである」と説示している。然しながら被害者の父母、配偶者及子に対する精神上の慰藉につき加害者が損害賠償の義務がある場合は被害者の生命権を侵害した場合に限るべきであつて本件のように近親者の身体傷害によりたとえその父母、配偶者或は子が精神上の苦痛を受ける場合ありとするも民法第七百十一条を類推又は拡張適用して加害者に損害賠償を命ずることはできない。身体傷害の場合においては加害者は傷害者自身に対し充分な精神上の慰藉をなすべき義務あることは当然であり又それを以て足るものと云わねばならない。身体傷害の場合における傷害者の父母、配偶者又は子等近親者につき精神上の苦痛に対する加害者の損害賠償義務は傷害者自身に対する賠償の内に包含されるものと解するのが妥当である。ひたすら被害者をあわれむるに急なるの余り知らず識らず加害者の責任を不当に過重ならしめるようなことは努めて避けなければならない。民法第七百十条の外に第七百十一条を規定した法意は被害者の生命権侵害の場合に限るべきものであるといわねばならない、然るに原判決は民法第七百十一条を類推拡張して之れを適用し傷害者自身たる被上告人一枝に対し精神上の苦痛に対する損害を賠償せしめた上更にその近親者たる母被上告人久子に対してまで慰藉料の請求を容認したのは法令の解釈を誤つた違法の判決であつて破棄を免れない。
第二点 原判決は経験則に反して事実を認定し不当に法令を適用した違法がある。原判決は上告人渡辺の過失の有無を認定するに当り「およそオート三輪車の如きいわゆる自動車を運転するものは絶えず前方を注視しその進路の前方に被控訴人一枝の如き小児を発見した場合は単に警笛を鳴らすを以て足れりとせず小児の行動に注意しかつ何時にても急停車して事故を未然に防止し得る程度に減速する等の処置をとるべき注意義務があるものと言わなければならない」と説示し「しかるに前段認定事実並びに原審における控訴人渡辺本人尋問の結果によれば控訴人渡辺は被控訴人一枝発見後警笛を吹鳴しただけで同女等の動きに十分な注意を払わず従つて十分な減速をなさずかつブレーキをふむべき時におくれたことにおいて自動車運転手の注意義務を怠つたものというべきである」と判示している。而して上告人渡辺が被上告人一枝の過失につき所謂過失相殺の主張をなしたに対し原判決は「本件事故発生の状況についての前段認定事実並びに原審における検証の結果によれば被控訴人一枝が控訴人渡辺の運転する自動車を発見したのは前方約五十米の地点であり被控訴人一枝がそれより約十三米余前進する間に控訴人はまず約三十米直進した後方向を急に転じて右折しさらに十七、八米進行して被控訴人一枝に衝突したものと認められかかる状況の下において十才の小児が控訴人渡辺の運転するオート三輪車が直進するものと速断してその進路の前方十字路を横断しようとしたことは無理からぬことであり被控訴人一枝の過失の責むべきものがあつたとは到底認め難い」と判断している。然しながら上告人渡辺が被上告人一枝外一人の小児を発見するや渡辺自身も亦一枝等が直進する姿勢にあつたので警笛を吹鳴しながら右折の態勢をとり減速して明かに右折の方向を指示したことは検証及証人尋問の結果によつて明である、被上告人一枝等が鬼ごつこをしながらでなく、即ちふざけながらのような態度でなく上告人渡辺の運転する自動車の進路に注意をしていたならば右折に気付いたであろうことは盲唖者でない限り吾々の経験則により明である。如何に十才の小児と雖も被上告人一枝のみならず他の一人松田たみと二人が二人とも自動車の右折に気付かなかつたのは原判決が判示するように「控訴人渡辺の運転するオート三輪車が直進するものと速断してその進路の前方十字路を横断しようとしたことは無理からぬことである」とは首肯することはできない。本件事故につき被上告人一枝にも亦過失があつたものと云わねばならない、然らば上告人渡辺の過失はその点において相殺により減殺されなければならない。右のように原判決は経験則に反して事実の認定をなし上告人渡辺の過失につき不当に法令を適用した違法な判決と言わねばならない。
第三点 被上告人一枝の過失について前第二点においては被上告人一枝自身に過失があつたにかかわらず過失相殺を認めなかつたのは経験則に反する違法判決であることに付いて述べたものであるが更に原判決は次に述べるように被上告人一枝の過失につき審理不尽、理由不備或は不当に法令を適用しない違法な判決と云わねばならない。即原判決は被上告人一枝の過失については「控訴人渡辺の運転するオート三輪車が直進するものと速断してその進路の前方十字路を横断しようとしたことは無理からぬことである」として被上告人一枝に過失なしと判断した。然しながら原判決が右のように判断したのは当時十才の小児と雖も自己の行為から生ずる結果についての認識能力はあるとの理由に基いての判断である、認識能力がありとすれば注意義務は免れないのであつて、この場合において被上告人一枝に過失があり従つて上告人渡辺の過失と相殺さるべきことは前第二点に述べたとおりである。然しながら自己の行為から生ずる結果につき認識能力があり注意義務は免れないとしても右行為の結果が違法なものとして法律上非難に値することは弁識する精神能力があるや否やは別問題である。被上告人一枝には原判決の説示するように認識能力がありこれに基きなした行動に過失がないとしてもその行為の結果が違法なものとして法律上非難されることを弁別する精神能力即責任能力はないとしなければならない。原判決は一方において被上告人一枝が認識能力ありと判断しながら他方責任能力ありや否やにつき判示しなかつたのは判断を遺脱した違法の判決と云わねばならない。果して被上告人一枝に責任能力なしとすればその親権者母たる被上告人久子に監督義務があり従つて被上告人久子にその義務懈怠による責任があることは民法第七百十二条の明定するところである,従つて被上告人久子の監督義務を怠つた過失は上告人渡辺の過失と当然相殺さるべきである。原判決がこの点について判断しなかつたのは理由の不備か或は民法第七百十二条を不当に適用しなかつた違法な判決で破棄を免れない。
第四点 原判決は使用者である上告人堀部に対し損害賠償義務を認定するに当り「民法第七百十五条にいうところの事業の執行につきとは必ずしも使用者の命令又は委託した事業の執行行為自体もしくはその執行に必要な行為のみを指称するのでなく使用者の指揮命令に違背してもその行為が当該事業の一範囲に属するものと認められる場合にはこれにふくまれるものと解すべきであつてパンの製造販売業者の使用人が業務用のオート三輪車を運転して運転修習の傍らパン粉を取りに行くことは客観的に見てその事業の一範囲に属するもの」と認定している。然しながら本件のように上告人渡辺の行為がたとえ外形上使用者の事業の執行と異るところがないような場合であつてもその主たる目的が上告人渡辺の自動車運転修得に被用者たる地位を利用して為した行為により他人に損害を及ぼした場合には本条の適用がないものと云わねばならない。被用者が単独の意思に基き当然使用者の反対を予想しながら不正な行為をなした結果他人に加えた損害はたとえその行為が使用者の利益のために為された場合でもこれを含まないと解すべきである。原判決が認定するように使用者の指揮命令に違背しても換言すれば自己のため或人をして或事に当らしむる如何なる場合たるを問わずその人がそのことを行うにつき第三者に加えた損害を賠償するの責を負わなければならないとするならば被害者にとつては便なるも使用者にとつては甚だしく酷に失するものと云うべく被用者の不法行為に対して使用者の責任を認定するには特に前後の事情を斟酌して同条の適用を判断すべきである。第一点において述べたように被害者により以上の損害の賠償を得せしめるために使用者の責任を追及するに過重であつてはならないように努めなければならないと信ずる。被用者たる上告人渡辺は使用者たる上告人堀部のパン製造の範囲においての使用人でありオート三輪車を運転すべき販売の範囲には属していない。しかも本件事故発生時にはその日の仕事を終り各自休養の時間であつてかかる時間においてまで使用者としての責任を追及されるものとせんか酷に失すると云うのみならず凡そ他人を使用するものは思わざる責任を負担する覚悟なき限り始終被用者に対して深甚な注意を払うことを要し唯使用者と被用者との間において其の弊を受くるに止まらず引いては一般社会の活動を阻害する虞れありと云わねばならない。右のような事実関係にある本件において使用者たる上告人堀部に対し損害賠償を命じた原判決は民法第七百十五条の適用を誤つた違法な判決であつて破棄を免れない。