サイトマップ----TOP > ライブラリ >>This Page

判例

S35.06.08 大法廷・判決 昭和30(オ)96 衆議院議員資格並びに歳費請求(第14巻7号1206頁)(苫米地事件)

判示事項:

衆議院解散の効力に関する裁判所の審査権限。

要旨:

衆議院解散の効力は、訴訟の前提問題としても、裁判所の審査権限の外にある。

主    文

     本件上告を棄却する。
     上告費用は上告人の負担とする。
         

理    由

 上告代理人吉井晃の上告理由について。
 本訴は、昭和二七年八月二八日行われた衆議院の解散は憲法に違反し無効であるとの主張にもとづき、当時衆議院議員であつた上告人は右解散によつては衆議院議員たる身分を失わないとして、同年九月分から上告人の衆議院議員の任期が満了した昭和二八年一月分迄の上告人の衆議院議員としての歳費合計二八万五千円の支払を求めるというのである。すなわち本訴は、右衆議院の解散の法律上無効なることを前提として、衆議院議員の歳費の支払を請求する訴訟である。
 そして、上告論旨第一点は、原判決が本件解散は憲法七条に依拠して行われたもので、憲法に適合するものであるとしたのは衆議院の解散に関する憲法の解釈を誤つたものであるとし、同第二、三点は、原判決が本件解散について、内閣の助言と承認が適法に為されたと判断した点に対し、採証の法則違背、審理不尽等の違法ありと主張するものである。右論旨にもあきらかであるごとく、本件解散無効に関する主要の争点は、本件解散は憲法六九条に該当する場合でないのに単に憲法七条に依拠して行われたが故に無効であるかどうか、本件解散に関しては憲法七条所定の内閣の助言と承認が適法に為されたかどうかの点にあることはあきらかである。
 しかし、現実に行われた衆議院の解散が、その依拠する憲法の条章について適用を誤つたが故に、法律上無効であるかどうか、これを行うにつき憲法上必要とせられる内閣の助言と承認に瑕疵があつたが故に無効であるかどうかのごときことは裁判所の審査権に服しないものと解すべきである。
 日本国憲法は、立法、行政、司法の三権分立の制度を確立し、司法権はすべて裁判所の行うところとし(憲法七六条一項)、また裁判所法は、裁判所は一切の法律上の争訟を裁判するものと規定し(裁判所法三条一項)、これによつて、民事、刑事のみならず行政事件についても、事項を限定せずいわゆる概括的に司法裁判所の管轄に属するものとせられ、さらに憲法は一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを審査決定する権限を裁判所に与えた(憲法八一条)結果、国の立法、行政の行為は、それが法律上の争訟となるかぎり、違憲審査を含めてすべて裁判所の裁判権に服することとなつたのである。
 しかし、わが憲法の三権分立の制度の下においても、司法権の行使についておのずからある限度の制約は免れないのであつて、あらゆる国家行為が無制限に司法審査の対象となるものと即断すべきでない。直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であつても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治判断に委ねられているものと解すべきである。この司法権に対する制約は、結局、三権分立の原理に由来し、当該国家行為の高度の政治性、裁判所の司法機関としての性格、裁判に必然的に随伴する手続上の制約等にかんがみ、特定の明文による規定はないけれども、司法権の憲法上の本質に内在する制約と理解すべきものである。
 衆議院の解散は、衆議院議員をしてその意に反して資格を喪失せしめ、国家最高の機関たる国会の主要な一翼をなす衆議院の機能を一時的とは言え閉止するものであり、さらにこれにつづく総選挙を通じて、新な衆議院、さらに新な内閣成立の機縁を為すものであつて、その国法上の意義は重大であるのみならず、解散は、多くは内閣がその重要な政策、ひいては自己の存続に関して国民の総意を問わんとする場合に行われるものであつてその政治上の意義もまた極めて重大である。すなわち衆議院の解散は、極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為であつて、かくのごとき行為について、その法律上の有効無効を審査することは司法裁判所の権限の外にありと解すべきことは既に前段説示するところによつてあきらかである。そして、この理は、本件のごとく、当該衆議院の解散が訴訟の前提問題として主張されている場合においても同様であつて、ひとしく裁判所の審査権の外にありといわなければならない。
 本件の解散が憲法七条に依拠して行われたことは本件において争いのないところであり、政府の見解は、憲法七条によつて、―すなわち憲法六九条に該当する場合でなくとも、―憲法上有効に衆議院の解散を行い得るものであり、本件解散は右憲法七条に依拠し、かつ、内閣の助言と承認により適法に行われたものであるとするにあることはあきらかであつて、裁判所としては、この政府の見解を否定して、本件解散を憲法上無効なものとすることはできないのである。
 されば、本件解散の無効なことを前提とする上告人の本訴請求はすべて排斥を免れないのであつて、上告人の請求を棄却した原判決は、結局において正当であり、上告人の上告は理由がない。
 よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官小谷勝重、同河村大助、同奥野健一、同石坂修一の意見あるほか、全裁判官一致の意見により、主文のとおり判決する。
 裁判官小谷勝重、同奥野健一の意見は次のとおりである。
 多数意見は、先づ衆議院の解散が法律上無効であるかどうかは裁判所の審査権に服しないものであると判示する。
 しかし、憲法に反した当然無効な解散によつて、違法に議員たる身分を奪われ、歳費請求権を喪失せしめられた者は、裁判所に対し訴訟によつてその救済を求めることの許さるべきことは勿論であつて、その場合裁判所は、先づ解散が憲法上適法なものであるかどうか、即ち有効か無効かを判断しなければならないことは当然であり、また裁判所の職責でもある。例えば、上告論旨のいうように、若し、憲法が六九条の場合以外に解散を認めないものとすれば同条の要件なくしてした解散は違憲であり当然無効であると判断すべきものであつて、この場合でも解散は政治性の高いものなるが故に、裁判所の審査権が及ばないものとし、政府において、既に解散は合憲であるとしている以上、裁判所はそれに盲従し、憲法上無効な解散までも有効なものと判断しなければならないとすることは、憲法八一条の明文に照し裁判所の職責に反するものといはなければならない。けだし、解散は憲法八一条にいう「処分」であつて、正に裁判所の違憲審査権の対象であるからである。
 よつて、進んで上告論旨の主張するように、解散は右六九条の場合に限つて認められるものであるか否かを検討するに、六九条は衆議院で内閣不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決した場合における内閣の採るべき措置について規定したものであつて、この場合、内閣は一〇日以内に衆議院が解散されない限り総辞職をしなければならないことを定めたものである。そして、同条は「……衆議院が解散されないかぎり……総辞職をしなければならない」とあつて、解散のできることは当然の前提として、解散されなければ内閣が総辞職をしなければならないことに重点があるものと解すべきであり、同条によつて始めて解散を行い得ることを規定したものと解すべきではない。
 元来議院内閣制の下においては、内閣は衆議院の信任を条件として成立、存続するものであるから、衆議院の信任を失つた場合には、当然総辞職をしなければならないのが原則であるが、憲法は抑制と均衡の原則から内閣はこれに対抗して衆議院を解散して主権者たる国民に信を問うことができる例外的対抗手段を認めたのが右六九条の規定であつて、この場合内閣は解散か総辞職か何れか一を選ばなければならないのである。右の如く衆議院の解散は政府が国民に訴え、その意思を問う制度であるから、内閣不信任決議案の可決、または信任決議案の否決の場合以外にも、衆議院において政府提出の重要法律案、予算案などが否決された場合など同じく政府は国民に信を問う必要がある場合があり、また、政党の所属議員の数の異動などにより衆議院が国民の代表としての意思をよく反映しているか否かに疑の生じた場合その他国の内外に新な重要事態が発生し、新しい国民の意思を問う必要がある場合など解散を必要とする場合が右六九条の場合の外にも多々存することは否み得ないところである。然らば、解散が右六九条の場合のみ可能であるとすることは前記の各場合に解散の途は閉されることになり、殊に、議院内閣制の下では多数党が内閣首班をとる慣例であるから内閣不信任の決議案が可決されることは殆どなく、実際上これによる衆議院の解散はあり得ないことになるのである。
 憲法によれば、衆議院の解散は憲法七条により行われるのであるが、同条は解散の場合を何ら制限していないのである。従つて、右六九条は衆議院解散についての一の場合を規定しているものと解すべきであつて、同条の場合以外に全然解散を認めない趣旨であると解すべきものではない。そして、衆議院の解散は六九条の場合をも含めて、内閣の助言と承認によつて天皇が右七条により、国事に関する行為としてこれを行うのである。天皇の行う解散は、内閣の助言と承認によりなされるものであつて、天皇は形式的儀礼的にこれを行うのであるから、衆議院解散の決定権は、内閣にあるものと解さねばならない。右の如く天皇の行う解散は内閣の助言と承認により、形式的儀礼的に行うのであるから、これがため天皇の権力を必要以上に強くするものということはできないし、また、内閣に解散の決定権があると解することは、国会より内閣を優位に立たせ、余りに強大な権力を内閣に与えすぎるとの非難も当らない。けだし、内閣は衆議院を解放すれば、総選挙の結果新しい国会の召集があつたときは当然に総辞職をしなければならないのであるから、解散権を濫用することができないからである。然らば、本件において憲法六九条の場合でないのに衆議院の解散を行つたことは違憲であるとの上告理由第一点の論旨は採用し難い。
 次に、多数意見は、衆議院の解散に必要な内閣の助言と承認についても、その無効であるかどうかは、裁判所の審査権に服しないものであると判示する。
 しかし、衆議院の解散が内閣の助言と承認により行われることは有効な解散の必要条件であつて、その要件を具備した内閣の助言と承認がない場合の解散は憲法上無効であるから、衆議院の解散の有効無効を決するためには、この点の判断は不可決なものである。よつて、本件において内閣の助言と承認があつたかどうかについて検討するに、憲法七条にいう内閣の助言と承認とは第一審判決のいうように両者を切り離して考えるべきものではなく、要するに、天皇の国事行為については、内閣が実質的決定権を有し、天皇は内閣の決定するところに従い、形式的儀礼的に国事行為として衆議院の解散を行うという趣旨と解すべきである。そうだとすれば、原審が適法に認定した事実関係の下においては、本件解散について憲法の要請する内閣の助言と承認があつたものと認むべきことは当然であつて、原判決のこの点の判断は結局正当である。然らば、上告理由第二、三点の論旨も採るを得ない。従つて、本件上告はすべて理由がないものといわねばならない。われわれは結論において多数意見と同じくするのであるが、理由において意見を異にするものである。
 裁判官河村大助の意見は次のとおりである。
 一、衆議院の解散が法律上無効であることを前提とする衆議院議員の歳費の支払を請求する本訴は、裁判所の審査権に服ないとの多数意見には賛同出来ないので以下その理由を述べる。
 憲法八一条は裁判所に一切の法律、命令、規則、処分が憲法に適合するか否かを決定する権限を与え、裁判所法三条は右規定に立脚して憲法に特別の規定ある場合を除き裁判所に一切の法律上の争訟を裁判する権限を附与しているのであつて、所謂統治行為なるものを司法審査の対象から除外する旨の明文の存しないことは明らかである。わたくしは、如何に高度の政治性を有する国家行為と雖も形式上司法審査の対象となり得る要件を備えるものである限りは、司法権に服さなければならないものとする説に賛成するものである。我国においても統治行為なる観念を認め純法律的判断の可能な問題であつても、司法審査の埓外に置くべしとする有力な学説が存在し、多数意見もこれを採用している。そしてその根拠を概ね司法権の内在的制約に求め、裁判所は他の機関の権限に介入しないという三権分立の原則を強調するものであるが、かかる内在的制約論又は自制説は憲法八一条の如き明文をもつわが司法権に必ずしも妥当するものでないと考える。けだし、高度の政治性を有する問題であつても、それが同時に法律上の争訟を含む場合においては、その法律問題が「憲法に適合するかどうかを決定する」ことは三権分立の均衡勢力を超えた部分につき違憲審査権が附与されているものと解せられるからである。もつとも、内閣や国会の有する広汎な政策的ないし裁量的決定の権限はこれを尊重すべきは当然のことであり、かつその実体がもつぱら政治的性格をもつものについては、裁判所の自制も妥当であろうが、当該国家行為が直接に国民の基本的人権に対する制限、侵害を内含するような場合には裁判所はその本来の使命である人権保障の責務を全うすべきであると考えられる。単に高度の政治性を有する国家行為だから裁判所は介入すべきでないということになると、「自制の名における司法権の後退」になりはしないか。勿論裁判所は具体的事件について法を適用することを本来の任務とするのであるから、統治行為ないし政治問題についてもそれが市民法秩序につながりをもち、直接国民の権利義務に影響する場合において、司法審査の問題を生ずるにとどまるものであることも多言を要しないところであろう。第一審判決が「当該行為が法律的な判断の可能なものであり、それによつて、個人的権利義務についての具体的紛争が解決されるものである限り裁判所は一切の行為についてそれが法規に適合するや否やの判断を為す権限を有し又義務を負うものである。これが我が法制の建前」であると判断したのは正当である。従つて本件衆議院の解散の効力如何が原告の議員として有する権利の存否に直接影響すること明らかな本件においては、その前提を為す解散の方式、手続が憲法の定めるところに適合して行われたりや否やは一切の政策的評価を排除して法律的判断を為すことが可能であるから、司法審査の対象となるものと解するを相当とする。
 よつて進んで本件解散が上告論旨の如く無効であるかどうかを判断する。
 二、論旨は衆議院解散は憲法六九条の場合にのみ行われ得るものであつて、本件のように憲法七条のみによつて為された解散は違憲無効であると主張する。
 しかし憲法六九条は本来国会の不信任に基く内閣の総辞職について規定したものであつて、ただ同条には「衆議院が解散されない限り」ということがつけ加えられているので、解散が行われることを予定しているとはいえるが、同条に関係のない解散の可能性を一般的に否定する趣旨を含むものでないことは明らかである。そして憲法は如何なる場合に解散をなし得るかにつき特にその要件を定めていないのであるから、その決定は、解散権を有する機関の政策的ないし裁量的判断に委ねられているものと解すべきである。通常行政部と立法部との意見が対立して調整の余地のない場合、衆議院が民意を反映しているかどうか疑わしい場合、その他憲法改正、条約締結等国家の重大事につき、総選挙を通じ民意を確めようとするために行われることが予想される。
 憲法七条三号は衆議院の解散を天皇の権限としているが、天皇は国政に関する権限を有しないため(四条)天皇の国事行為としての解散は、他の機関の解散決定に基き、これを外部に表示する権能すなわち形式的宣示行為に過ぎないものであつて、この天皇の形式的行為に対し内閣は助言と承認を与えることになるのであるから、その解散の実質的決定は右助言と承認に先行するものと解すべきであろう。しかして、その実質的解散権について特別の定めのないわが憲法においては、内閣に実質的決定権があればこそ天皇の形式的宣示行為に助言と承認をなすべき責務をも負わせたものと解することができる。すなわち右助言と承認の規定は内閣に実質的解散権が存在することを予定されているものと解するを相当とする。また前記六九条においても内閣は解散するか総辞職するかの何れか一を撰ぶべきことを余儀なくされているのであるから、同条も内閣が実質的解散権を有することを予定しているものと解することができる。
 のみならずわが憲法は所謂自律的解散は認めない趣旨と解せられるから、少ともその解散権が立法部及び司法部に属しないことは明らかである。この点からみても憲法は解散の決定を内閣に担当せしめたものと解するほかはない。或は内閣の成立及び存続が国会の信任に依存する議院内閣制のもとにおいては、内閣に一般的解散権を認めることは国会の最高機関たる地位を低めるもので背理の甚だしいものであるとの論がある。しかし、立法部と行政部の権力相互の均衡抑制が保たれることは三権分立の原則の要請であつて、立法部の専断又は行き過ぎ等に対して、行政部がこれを抑制するため、総選挙を通じ国民の判定に訴えるというねらいが、必らずしも国家優位を傷けるものではない。現に六九条の場合において、衆議院の不信任決議に対抗する手段として内閣に解散権を認めているのも内閣に独立の権能が附与されていることを示すものにほかならない。しかも、解散は、議員の任期を短縮せしめるほかに総選挙後内閣を総辞職せしめる効果をもつものであつて、一方においては解散、他方においては総辞職ということにより、結果においては両者間の勢力均衡は保持できるのである。従つて行政部優位又は立法部軽視というような非難は当らないものといわなければならない。
 以上要するに憲法七条の方式に従い行われた本件解散は所論の如き違法の廉はない。
 三、つぎに上告論旨は、本件解散につき憲法七条による内閣の助言と承認が適法に行われたとの原審判断を非難するので、この点について検討する。
 憲法七条に所謂「助言と承認」とは、語義からいうと助言及び承認の二つの言葉にわけて解釈すべきもののように見えるが、同条が天皇の国事行為につき内閣の助言と承認を必要としたのは、天皇は単独で国事行為を為さず、内閣の意見すなわち内閣の決定した意思に基いて行うことを意味するに過ぎないものであるから、特に助言と承認を区別する必要はなく、法律上一個の観念とみるを相当とする。本件において原審の引用する乙第一号証によれば閣僚全員承認の下に衆議院解散の詔書案及び衆議院議長宛伝達案等が決定され、昭和二七年八月二八日施行されたことを窺うに足りるから、同号証のみを以てしても、天皇の解散宣示行為が内閣の意思に基くことを証し得て、憲法の要求は十分に満されたものと解するを相当とする。従つて上告論旨は採用できない。
 以上の理由により本件上告を棄却する多数意見に同調するが、その理由を異にするものである。
 裁判官石坂修一の意見は次の通りである。
 わたくしは、本判決主文には同意するけれども、多数意見がその理由とする所には、異見を持つものである。
 多数意見は、裁判所に、衆議院の解散が法律上無効であるか否か、また衆議院の解散に必要とする内閣の助言、承認の無効であるか否かにつき審査する権限がないと判示する。
 しかし、衆議院を解散すべきか否かの問題と、憲法の条章に遵ひ内閣の助言、承認を経た、有効なる衆議院の解散が行はれたか否かの問題との間には、自ら分界がある。前者について、裁判所に審査権のないこと、当然であるけれども、後者については、裁判所に審査権があるものとせざるを得ない。その理由とする所は、憲法七条二号の解散行為が単に儀礼的意味を持つのみであるか否かは別として、小谷、奥野両裁判官の所見と異らない。
 而して、審査の結果、本件解散は、憲法の条章に遵ひ、内閣の助言、承認を経て行はれ、有効なものであるとの判断に至つたのであつて、これと同趣旨に出た原判決を維持するものである。
     最高裁判所大法廷
         裁判長裁判官    田   中   耕 太 郎
            裁判官    小   谷   勝   重
            裁判官    島           保
            裁判官    斎   藤   悠   輔
            裁判官    藤   田   八   郎
            裁判官    河   村   又   介
            裁判官    入   江   俊   郎
            裁判官    池   田       克
            裁判官    垂   水   克   己
            裁判官    河   村   大   助
            裁判官    奥   野   健   一
            裁判官    高   橋       潔
            裁判官    高   木   常   七
            裁判官    石   坂   修   一