判例
S46.11.16 第三小法廷・判決 昭和45(あ)2563 殺人(第25巻8号996頁)
判示事項:
一 刑法三六条にいう「急迫」の意義
二 刑法三六条の防衛行為と防衛の意思
要旨:
一 刑法三六条にいう「急迫」とは、法益の侵害が現に存在しているか、または間近に押し迫つていることを意味し、その侵害があらかじめ予期されていたものであるとしても、そのことからただちに急迫性を失うものと解すべきではない。
二 刑法三六条の防衛行為は、防衛の意思をもつてなされることが必要であるが、相手の加害行為に対し憤激または逆上して反撃を加えたからといつて、ただちに防衛の意思を欠くものと解すべきではない。
主 文
原判決を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。
理 由
弁護人堀口嘉平太の上告趣意について。
所論にかんがみ、職権をもつて調査すると、原判決には、以下説示する理由により、判決に影響を及ぼすべき法令違反、および重大な事実誤認のあることの顕著な疑いがあるので、これを破棄しなければいちじるしく正義に反するものと認める。
一 第一審判決は、罪となるべき事実として、『被告人は、静岡県富士宮市a町b番c号所在の安宿「A旅館」ことB方に宿泊してパチンコで稼いで生活を立てていたものであるが、昭和四四年九月二〇日夕刻、同宿人のC(当時三一才)から、同旅館を営む右Bの家族部屋でテレビを見ていたことを詰られたり、扇風機を持つてくるように言いつけられたりなどしたことで、右Cと言い争いとなり、以前同人から足蹴にされたことなどもあつて同人に対し畏怖の念を抱いていたため、一旦同旅館を出て行こうと考えたものの、同日午後一〇時一〇分ころ、一度同人にあやまつてみようという気を起し、同人の姿を見かけて同旅館帳場に入つたところ、立ち上つた同人からいきなり手拳で二回くらい強く殴打され、同人が立ち向つてきたので、後退りして同帳場南隣りの八畳間に入り、同人から押されて背中を同八畳間西側の障子にぶつけた際、かねて同障子の鴨居の上にくり小刀(昭和四四年押第一二二号の一および二)を隠してあつたことを思い出して、とつさに右くり小刀を取り出し、同人の理由のない暴行に憤慨して同人を死に至らしめるかも知れないがやむをえないとして、自己の身体を防衛するためその必要な程度を超え、同くり小刀を右手に持つて、右八畳間において、殴りかかつてきた同人の左胸部を突き刺し、よつて同人に心臓右心室大動脈貫通の刺創を負わせ、同日午後一〇時二五分ころ、その場で右刺創に基づく心嚢タンポナーゼのため同人を死亡させて殺害したものである。』との過剰防衛による殺人の事実を認定判示し、被告人に対し懲役三年執行猶予五年の刑を言い渡した。
二 原判決は、第一審判決が被告人の本件行為を過剰防衛行為であると認定したのは事実誤認、法令違反である旨の検察官の控訴趣意に対し、『所論に基き原審に現われたあらゆる証拠を検討し、かつ当審における事実取調の結果をも勘案して考察すると、被告人は昭和四四年九月二〇日午後七時三〇分頃原判示旅館内の一室においてテレビを見ていた際、被害者から「一人でテレビを見ていてなんだ。」と文句をいわれたうえ、同室出入口の鍵をかけられてしまつたことがあつたので、その後同人と同旅館内で出会い、同人から「扇風機を知らないか。」ととがめられた際、ついそのことが口に出てしまい、「鍵までしめておきながら、扇風機をもつてこいということはないじやないか。」とやりかえしたことから、同人に「お前居直る気か、やる気か。」とからまれ、あとを追うようにして、「手前出てゆけ、手前なんかぶつ殺してしまう。」などとどなられ、その言動からして旅館内にいることが危険であると感ぜられたばかりでなく、そのとき「俺が気に入らないなら、出てゆく。」といつてしまつた手前もあつて、いつそ旅館を出てゆき、もはや旅館には戻つてこない考えとなり、こつそり同旅館をぬけ出し、同日午後八時頃から午後一〇時頃までの間に、近くの居酒屋、ついで焼そば屋において、その頃としては珍しい程の量である酒約四合程を飲んで、酩酊し、当面の落ち着き先などをあれこれと思い迷つていたが、そのうち旅館の主人が中風で寝たきりのままでおり、その主人に挨拶もしないで出てきてしまつたことを思い出し、旅館に戻つて世話になつた礼を述べるとともに、その機会に被害者にあやまり、仲直りができれば、元通りに泊めてもらおうという考えを起し、酒の勢いにのつて、同旅館に赴き、玄関から廊下に上つたところ、帳場(四畳半の部屋、茶の間ともいう。)に被害者がねそべつているのが見えたので、その帳場のすぐ奥につづく広間(八畳の部屋、布団部屋ともいう。)に入り、同広間と帳場とを仕切る開き戸のあたりに立つと、被害者がいち早くこれに気づいて、「D、われはまたきたのか。」などとからみ、果ては立ち上りざま手拳で二回位被告人の顔面を殴打したので、被告人は逆上し、同広間に後退したうえ、同広間西側障子鴨居の上にかくしておいたくり小刀一本(当庁昭和四五年押第二二〇号の一)を取り出し、向つてくる被害者の左胸部を突き刺してしまつたという経過にあつて、ふだんおとなしい被告人、ことに被害者には昭和四四年八月頃すなわち本件の約一箇月前項パチンコ店において、黙つてパチンコをやりにきたことを理由に足げりにされたことがあり、またふだん同人の胸や腕に入れ墨があることを見ていて、同人を恐ろしく思い、何事も同人のいうままに行動して、反抗したことのなかつた被告人が、その恐ろしく思つている被害者に立ち向つていることから考えると、被告人は被害者から殴打されたことが余程腹にすえかねたものと思われ、その憤激の情が酒の酔いのため一時に高められ、相手がいつもこわがつている被害者であることなどは意に介しないで、つぎの行動に移つたものと考えられるので、被告人が被害者から殴打されて逆上したときに、反撃の意図が形成され、被害者に報復を加える意思が固まつたものと思われ、おそくとも前記広間西側障子鴨居の上からくり小刀を取り出そうとした頃には、防衛の意思などは全くなくなつていたことが認められるばかりでなく、被告人が旅館を出ていつた前記経緯からすると、若し被告人が再び旅館に戻つてくるようなことがあると、必ずや被害者との間にひと悶着があり、場合によつては被害者から手荒な仕打ちをうけることがあるかもしれない位のことは、十分に予測されたことであり、被告人としてもそのことを覚悟したうえで、酒の勢いにのり、旅館に戻つたものと考えられるので、たとえ被害者から立上りざま手挙で殴打されるということがあり、その後被害者が被告人に向つてゆく体勢をとることがあつたとしても、そのことは被告人の全く予期しないことではなかつたのであり、その他証拠によつて認められるその殴打がなされる直前に、扇風機のことなどで、旅館の若主人と被害者との間にはげしい言葉のやりとりがかわされていて、その殴打が全く意表をついてなされたというものではなかつたこと、被告人本人がその気になりさえずれば、前記広間の四周にある障子を押し倒してでも脱出することができる状況にあつたこと、近くの帳場には泊り客が一人おり、またその近くに旅館の若主人もいて、救いを求めることもできたことや、被害者のなした前記殴打の態様、回数などの点をも総合、勘案すると、被害者による法益の侵害が切迫しており、急迫性があつたものとは、とうてい認められないのであり、またそのような状況ないし経過のもとにおいて、くり小刀をもち出し、被害者を突き刺した被告人の本件行為が防衛上已むことをえざるに出でた行為であつたとは、とうてい考えられないのである。以上の次第であつて、本件においては、被害者による不正の侵害に急迫性があることも、被告人に防衛の意思があつたことも、また被告人の行為が防衛上已むことをえざるものであつたことも認められないのであるから、原判決が被告人の本件行為について、過剰防衛が成立すると認定し、判断したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認をおかしたものであり、既にこの点において原判決は破棄を免れないといわねばならない。』と判示して、第一審判決を破棄し、みずから「罪となるべき事実」として、『被告人は、静岡県富士宮市a町b番c号所在の安宿「富A旅館」ことB方に宿泊し、パチンコの稼ぎで生活を立てていたものであるが、昭和四四年九月二〇日の夕刻、同宿人のC(当時三一年)と些細なことで口論となり、同人から「お前居直る気か、やる気か、手前出てゆけ、手前なんかぶつ殺してしまう。」などとどなられ、その言動からして旅館にいることが危険であると感じ、またそのとき「俺が気にいらないなら、出ていく。」といつてしまつた手前もあつていつそ旅館を出てゆき、もはや旅館には戻つてこない考えとなり、こつそり同旅館をぬけ出し、近くの居酒屋等において、酒約四合を飲み、酩酊して、当面の落ち着き先などあれこれと思い迷つていたが、そのうちCにあやまつてみて、若し仲直りができたら、元通り旅館に泊めてもらおうという考えを起し、酒の勢いにのつて、午後一〇時一〇分頃同旅館に赴き、玄関を上つたところ、同旅館帳場にねそべつていたCの姿が見えたので、その帳場の南隣りにある広間(八畳の間)に入り、同室と帳場とを仕切る開き戸のあたりに立つと、同人がいち早くこれに気づいて、「D、われはまたきたのか。」などとからんだ末、同人から立ち上りざま手拳で二回位顔面を殴打されたので、逆上し、同人を死に至らしめるかも知れないがやむをえない考えのもとに、同室の西側障子鴨居の上にかくしてあつたくり小刀一本(当庁昭和四五年押第二二〇号の一)を取り出し、これを右手にもつて、同人に立ち向い、その左胸部を突き刺し、よつて同人に心臓右心室大動脈貫通の刺創を負わせ、同日午後一〇時二五分頃、右刺創に基く心嚢タンポナーゼのため、その場で死亡するに至らしめたものである。』との事実を認定判示して、被告人に対し懲役五年の刑を言い渡した。
三 すなわち、原判決は、本件におけるCの行為が被告人の身体に対する不正の侵害であることは、これを認めつつも、(一)Cの侵害行為は急迫性がなかつた、(二)被告人には防衛の意思がなかつた、(三)防衛上やむをえない行為ではなかつた、と認定し、これを理由に本件における過剰防衛の成立を否定しているので、以下検討を加える。
(一)急迫性がなかつたとの点について。
刑法三六条にいう「急迫」とは、法益の侵害が現に存在しているか、または間近に押し迫つていることを意味し、その侵害があらかじめ予期されていたものであるとしても、そのことからただちに急迫性を失うものと解すべきではない。これを本件についてみると、被告人はCと口論の末いつたん止宿先の旅館を立ち退いたが、同人にあやまつて仲直りをしようと思い、旅館に戻つてきたところ、Cは被告人に対し、「D、われはまたきたのか。」などとからみ、立ち上がりざま手拳で二回ぐらい被告人の顔面を殴打し、後退する被告人に更に立ち向かつたことは原判決も認めているところであり、その際Cは被告人に対し、加療一〇日間を要する顔面挫傷および右結膜下出血の傷害を負わせたうえ、更に殴りかかつたものであることが記録上うかがわれるから、もしそうであるとすれば、このCの加害行為が被告人の身体にとつて「急迫不正ノ侵害」にあたることはいうまでもない。
原判決は、前記のように、「被告人が旅館を出ていつた前記経緯からすると、若し被告人が再び旅館に戻つてくるようなことがあると、必ずや被害者との間にひと悶着があり、場合によつては被害者から手荒な仕打ちをうけることがあるかもしれない位のことは、十分に予測されたことであり、被告人としてもそのことを覚悟したうえで、酒の勢いにのり、旅館に戻つたものと考えられるので、たとえ被害者から立上りざま手拳で殴打されるということがあり、その後被害者が被告人に向つてゆく体勢をとることがあつたとしても、そのことは被告人の全く予期しないことではなかつたのであり、その他証拠によつて認められるその殴打がなされる直前に、扇風機のことなどで、旅館の若主人と被害者との間にはげしい言葉のやりとりがかわされていて、その殴打が全く意表をついてなされたというものではなかつたこと」をCの侵害行為につき急迫性が認められない有力な理由としている。右判示中、被告人が右のようにCから手荒な仕打ちを受けるかもしれないことを覚悟のうえで戻さたとか、殴打される直前に扇風機のことなどで旅館の若主人(B〔五四才〕を指しているものと認められる。)とCとの間にはげしい言葉のやりとりがかわされていたとの部分は、記録中の全証拠に照らし必ずしも首肯しがたいが、かりにそのような事実関係があり、Cの侵害行為が被告人にとつてある程度予期されていたものであつたとしても、そのことからただちに右侵害が急迫性を失うものと解すべきでないことは、前に説示したとおりである。
更に、原判決は、右の点に加えて「被告人本人がその気になりさえすれば、前記広間の四周にある障子を押し倒してでも脱出することができる状況にあつたこと、近くの帳場には泊り客が一人おり、またその近くに旅館の若主人もいて、救いを求めることもできたことや、被害者のなした前記殴打の態様、回数などの点をも総合、勘案すると、被害者による法益の侵害が切迫しており、急迫性があつたものとは、とうてい認められない」と判示している。しかし、記録によれば、右判示のように本件広間(八畳間)の四周に障子があつたのではなく、北側には帳場との間に板の開き戸があつただけであり、東側には廊下との間に四枚の唐紙、南側には二枚のガラス障子があるので、以上の北、東、南三方はともかく出入りが可能であるが、被告人がCと向き合つたまま後退し、いわば追いつめられた地点である西側には、ガラス障子をへだてて当時物置となつていた廊下があり、ここに衣類、スーツケ―ス等の物品がうず高く積まれていたため、とうてい「脱出することができる状況」ではなかつたこと、近くの帳場(四畳半)にはたしかに「泊り客の一人」であるE(五一才)がいたが、同人はC、被告人両名と知り合いの仲でありながら、眼前でCが被告人を殴るのを制止しようともしなかつたこと、まだ、右帳場と勝手場との境付近に「旅館の若主人」である前記Bもいたが、女性である同人が荒つぽいCを制して被告人を助けることを期待するのは困難であつたことがうかがわれるから、原判決の前記判示中、被告人が脱出できる状況にあつたとか、近くの者に救いを求めることもできたとの部分は、いずれも首肯しがたいが、かりにそのような事実関係であつたとしても、法益に対する侵害を避けるため他にとるべき方法があつたかどうかは、防衛行為としてやむをえないものであるかどうかの問題であり、侵害が「急迫」であるかどうかの問題ではない。したがつて、Cの侵害行為に急迫性がなかつたとする原判決の判断は、法令の解釈適用を誤つたか、または理由不備の違法があるものといわなければならない。
(二)防衛の意思がなかつたとの点について。
刑法三六条の防衛行為は、防衛の意思をもつてなされることが必要であるが、相手の加害行為に対し憤激または逆上して反撃を加えたからといつて、ただちに防衛の意思を欠くものと解すべきではない。これを本件についてみると、前記説示のとおり、被告人は旅館に戻つてくるやCから一方的に手拳で顔面を殴打され、加療一〇日間を要する傷害を負わされたうえ、更に本件広間西側に追いつめられて殴打されようとしたのに対し、くり小刀をもつて同人の左胸部を突き刺したものである(この小刀は、以前被告人が自室の壁に穴を開けてのぞき見する目的で買い、右広間西側障子の鴨居の上にかくしておいたもので、被告人は、たまたまその下に追いつめられ、この小刀のことを思い出し、とつさに手に取つたもののようである。)ことが記録上うかがわれるから、そうであるとすれば、かねてから被告人がCに対し憎悪の念をもち攻撃を受けたのに乗じ積極的な加害行為に出たなどの特別な事情が認められないかぎり、被告人の反撃行為は防衛の意思をもつてなされたものと認めるのが相当である。
しかるに、原判決は、本件においてこのような特別の事情のあつたことは別段判示することなく、前記のように、「ふだんおとなしい被告人、ことに被害者には昭和四四年八月頃すなわち本件の約一箇月前頃パチンコ店において、黙つてパチンコをやりにきたことを理由に足げりにされたことがあり、またふだん同人の胸や腕に入れ墨があることを見ていて、同人を恐ろしく思い、何事も同人のいうままに行動して、反抗したことのなかつた被告人が、その恐ろしく思つている被害者に立ち向つていることから考えると、被告人は被害者から殴打されたことが余程腹にすえかねたものと思われ、その憤激の情が酒の酔いのため一時に高められ、相手がいつもこわがつている被害者であることなどは意に介しないで、つぎの行動に移つたものと考えられるので、被告人が被害者から殴打されて逆上したときに、反撃の意図が形成され、被害者に報復を加える意思が固まつたものと思われ、おそくとも前記広間西側障子鴨居の上からくり小刀を取り出そうとした頃には、防衛の意思などは全くなくなつていたことが認められる」として、あたかも最初は被告人に防衛の意思があつたが、逆上の結果それが次第に報復の意思にとつてかわり、最終的には防衛の意思が全く消滅していたかのような判示をしているのである。
しかし、前に説示したとおり、被告人がCから殴打され逆上して反撃に転じたからといつて、ただちに防衛の意思を欠くものとはいえないのみならず、本件は、被告人がCから殴られ、追われ、隣室の広間に入り、西側障子のところで同人を突き刺すまで、一分にもみたないほどの突発的なことがらであつたことが記録上うかがわれるから、原判決の判示するような経過で被告人の防衛の意思が消滅したと認定することは、いちじるしく合理性を欠き、重大な事実誤認のあることの顕著な疑いがあるものといわなければならない。
(三)防衛上やむをえない行為ではなかつたとの点について。
正当防衛が成立するには防衛行為がやむをえないものであることを要し(刑法三六条一項)、この要件を欠くときは、防衛の程度を超えたものとして、過剰防衛となり、違法性を阻却されないのである(同条二項)。これを本件についてみると、Cの加害行為は手拳で殴打する程度のものであつたのに対し、被告人はくり小刀を用い、しかも、相手の胸部を突き刺したのであるから、被告人の行為が防衛行為として必要な程度を超えたものであり、刑法三六条の防衛上やむをえない行為にあたらないことはいうまでもない。このことは、第一審判決も認めているのであり、さればこそ第一審は本件を過剰防備として処理しているのである。しかるに、原判決は、前記のように、「本件においては、被害者による不正の侵害に急迫性があることも、被告人に防衛の意思があつたことも、また被告人の行為が防衛上已むことをえざるものであつたことも認められないのであるから、原判決が被告人の本件行為について、過剰防衛が成立すると認定し、判断したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認をおかしたもの」と判示している。ところで、すでに(一)で説明したとおり、被告人に対する不正の侵害行為に急迫性がなかつた旨の原判示は首肯しがたく、また、(二)で説明したとおり、被告人に防衛の意思がなかつた旨の原判示も合理性があるものとは認めがたいのであるが、もしも、原判決のいうように、被告人に対する不正の侵害行為に急迫性がなく、または、被告人に防衛の意思がなかつたとするならば、本件において正当防衛の要件を欠くのみならず、過剰防衛の要件をも欠くことになるのは当然である。しかし、防衛上やむをえない行為でなかつたことは、正当防衛の要件を欠くことにはなつても、過剰防衛の要件を欠くことにはならないのであるから、このかぎりにおいて、原判決が右のような理由づけをもつて第一審判決に事実誤認があるとしたのは、理由不備であるといわなければならない。
四 以上のように、原判決には判決に影響を及ぼすべき法令違反、および重大な事実誤認のあることの顕著な疑いがあり、これを破棄しなければいちじるしく正義に反するものと認める。よつて、論旨に対する判断をするまでもなく、刑訴法四一一条一号、三号により原判決を破棄し、同法四一三条本文に従い、本件を原審である東京高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
検祭官臼井滋夫 公判出席
昭和四六年二月一六日
最高裁判所第三小法廷
裁判長裁判官 松 本 正 雄
裁判官 田 中 二 郎
裁判官 下 村 三 郎
裁判官 関 根 小 郷
裁判官 天 野 武 一