判例

S62.07.07 第三小法廷・判決 昭和60(オ)289 保証債務履行(第41巻5号1133頁)

判示事項:

一 民法一一七条二項にいう「過失」と重大な過失

二 無権代理人が民法一一七条一項所定の責任を免れる事由として表見代理の成立を主張することの許否

要旨:

一 民法一一七条二項にいう「過失」は、重大な過失に限定されるものではない。

二 無権代理人は、民法一一七条一項所定の責任を免れる事由として、表見代理の成立を主張することはできない。



主    文

     原判決を破棄する。
     本件を仙台高等裁判所に差し戻す。
         

理    由

 上告代理人瀬上卓男の上告理由第一点について
 所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
 同第二点について
 記録によれば、本件は、上告人が夫である訴外Aの代理人として被上告人との間で締結した本件各連帯保証契約について、被上告人が上告人に対し、民法一一七条一項に基づき、その履行を求める事案であるところ、上告人が、抗弁として、右各契約の相手方である被上告人には上告人に代理権がないことを知らないことにつき過失があつた旨主張したのに対し、原審は、同法一一七条に基づく無権代理人の責任は、本人側の責任を原因とする表見代理によつては保護を受けることのできない場合の相手方を救済し、もつて取引の安全を確保しようとするもので、無権代理人の責任を原因とするものであるから、同条二項にいう「相手方が過失により代理権がないことを知らなかつたとき」とは、相手方を保護することが却つて信義則ないし公平の原理に反することになる場合、すなわち相手方に悪意に近いほどの重大な過失がある場合を指すものと解されるとしたうえ、原審の認定した事実関係のもとにおいては、右無権代理行為の相手方である被上告人には右の意味における重大な過失があつたとは認められないとして、上告人の右抗弁を排斥し、被上告人の請求を認容すべきものとしている。
 しかしながら、民法は、過失と重大な過失とを明らかに区別して規定しており、重大な過失を要件とするときは特にその旨を明記しているから(例えば、九五条、四七〇条、六九八条)、単に「過失」と規定している場合には、その明文に反してこれを「重大な過失」と解釈することは、そのように解すべき特段の合理的な理由がある場合を除き、許されないというべきである。そして、同法一一七条による無権代理人の責任は、無権代理人が相手方に対し代理権がある旨を表示し又は自己を代理人であると信じさせるような行為をした事実を責任の根拠として、相手方の保護と取引の安全並びに代理制度の信用保持のために、法律が特別に認めた無過失責任であり、同条二項が「前項ノ規定ハ相手方カ代理権ナキコトヲ知りタルトキ若クハ過失ニ因リテ之ヲ知ラサリシトキハ之ヲ適用セス」と規定しているのは、同条一項が無権代理人に無過失責任という重い責任を負わせたところから、相手方において代理権のないことを知つていたとき若しくはこれを知らなかつたことにつき過失があるときは、同条の保護に値しないものとして、無権代理人の免責を認めたものと解されるのであつて、その趣旨に徴すると、右の「過失」は重大な過失に限定されるべきものではないと解するのが相当である。また、表見代理の成立が認められ、代理行為の法律効果が本人に及ぶことが裁判上確定された場合には、無権代理人の責任を認める余地がないことは明らかであるが、無権代理人の責任をもつて表見代理が成立しない場合における補充的な責任すなわち表見代理によつては保護を受けることのできない相手方を救済するための制度であると解すべき根拠はなく、右両者は、互いに独立した制度であると解するのが相当である。したがつて、無権代理人の責任の要件と表見代理の要件がともに存在する場合においても、表見代理の主張をすると否とは相手方の自由であると解すべきであるから、相手方は、表見代理の主張をしないで、直ちに無権代理人に対し同法一一七条の責任を問うことができるものと解するのが相当である(最高裁昭和三一年(オ)第六二九号同三三年六月一七日第三小法廷判決・民集一二巻一〇号一五三二頁参照)。そして、表見代理は本来相手方保護のための制度であるから、無権代理人が表見代理の成立要件を主張立証して自己の責任を免れることは、制度本来の趣旨に反するというべきであり、したがつて、右の場合、無権代理人は、表見代理が成立することを抗弁として主張することはできないものと解するのが相当である。
 そうすると、無権代理人の責任は表見代理が成立しない場合の補充的な責任であるとの見解に立つて、民法一一七条二項の「過失」を悪意に近いほどの重大な過失に限られるものと解し、本件においては右の重大な過失が認められないとして、上告人の前示抗弁を排斥した原審の判断には、同法一一七条の解釈適用を誤つた違法があるというべきであり、右違法が判決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、本件については、被上告人に同条二項にいう過失があつたか否かの点につき更に審理を尽くさせる必要があるから、これを原審に差し戻すのが相当である。
 よつて、民訴法四〇七条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
     最高裁判所第三小法廷
         裁判長裁判官    安   岡   滿   彦
            裁判官    伊   藤   正   己
            裁判官    長   島       敦
            裁判官    坂   上   壽   夫